極彩色の悪夢

格納庫にVFを収めたアルトは、いつものように整備班と共に機体のメンテナンスの打ち合わせを済ませた後、引っ切り無しに機体の出入りするそこを後にした。
朝一で飛び立ってから、小休止を幾度か挟みはしたものの、実質、7時間強は空を飛んでいた計算になる。
気侭なフライトなら、疲労感もまた違うのだろうが、仕事としてのフライトのせいか節々が強張っており、さすがに熱いシャワーでも浴びて今すぐ眠りについてしまいたかったが、まだ行く場所が残っている。
パイロットスーツの襟元をくつろげながら急ぎ足で通用路を進めば、すれ違うパイロットや、はきと名も知らぬ同僚から、労いの言葉を向けられ、それに適当な挨拶を返す事が、この一週間ばかりの習慣のようになっていた。
あの最後の作戦以降、自分が必要以上に注視される立場になった事を、アルトとて自覚はしているのだ。
人に見られる事には、幼少の頃より慣れてはいるつもりだが、さすがに今の状況はその慣れの度合いを越えて居る気がする。
珍獣よろしく一挙手一投足を見られている、と感じる時もある。
そんな愚痴を、シェリルに告げれば『見られるのって楽しいじゃない』と実に素晴らしい返答が成された。
ランカも『皆に見て貰えるのって凄い事なんだよ!』と、目をキラキラさせて力説してくれた。
結論としては、あの二人にこの相談は筋違いだったと言う事である。
何せ全銀河に歌声を響かせたい、などと言う、宇宙規模な話をしている二人だ。
こんな限られた範囲の注目如きの不服を唱えた所で、二人に通じる筈も無い。
相談相手としては最悪なチョイスだったと、自分にダメ出しをする羽目になった。
かと言って、他の誰に出来る相談でも無い。
こんな時にはいつも、冗談なのか、本気なのか、役に立つのかも判然としない『対処法』を口にしていた男は、今は自分の隣には居ないのだ。
急いでいた筈なのに、思考故かいつの間にか止まっていた歩みに苦笑いを浮かべ、再び歩き出そうと顔を上げた所で、アルトはその動きを止める。
前方から見知った顔ぶれが歩いて来たからだ。
オズマ、キャサリン、ボビー。
かつての、そして今現在でも恐らくは、自分の上官3名である。
「隊長…」
オズマを形容すべき言葉は、結局この隊長と言う一言に尽きるのだ。
あまりにも色々とありすぎたせいで、随分と昔に感じるが、一年ほど前の自分の『初陣』の日。
死なせはしない、とそう戦場にあって誓えるべき根拠も無い言葉を口にした男に、自分は間違い無く己の命運を委ねたのだ。
その日から自分にとっての『隊長』は、オズマだった。
「随分と久しぶりな気がするな」
「あ、あぁ」
まともに顔を合わせるのは、あの最後の戦闘から初めての事である。
名すら定かでは無い惑星に降り立った人類は、混乱の只中にあり、軍人と名のつく職業の者は総出で復興活動と、この星の調査に駆けずり回っている所だ。
気候・地質・大気・生態系。
毒素やウイルス、微生物に原種、人体に影響を及ぼすものは無いか。
短気スパンでは無い、長期での調査が必要でもあり、調べなければならない事は山積みでありながらも、人員も物資も不足していると言う状況下なのだ。
加えて、宇宙への注視を怠るわけにも行かず、飛べる者は休み無く、惑星内もしくは宇宙を飛んでいる。
政治中枢は当然ながら、軍部も多くの人員を喪い、指揮系統も充分で無い中、現場の混乱を避ける為に、各々現在の所属を最優先の指揮系統に与されていた。
戦いの最後にはS.M.Sスカル小隊として飛んだアルトもルカも、正式な所属は新統合軍であり、当然の事ながら海賊となったS.M.Sとは、あれ以来別行動となっていたのだ。
何度か格納庫などでオズマの姿を見かけても、ろくに言葉を交わす暇も無かった。
その時には話したい事があったような気もするのだが、いざこうして当人を目の前にすれば、特に無いような気もする。
おそらく、対話の必要な段階は、通り過ぎてしまったのだ。
過去を振り返り、いくら語った所で、進み出している今をどうする事も出来ない。
自分たちは、進路を別ち、けれどそれを後悔はしていないのだ。
お互い、あの時に正しいと思った判断をして、此処に居る。
それで、充分なのだろう。
「随分と呆けたツラしてるじゃないか、『隊長』殿」
「…仮の、だ。頭数合わせのな」
部下を率い先陣を切って飛んでは居るが、この自分が『隊長』であることは、とても奇妙な感覚であり、いまだにしっくり来ない。
「おいおい、この俺が直に育ててやったんだ。頭数合わせなんて過小評価するなよ」
にやりと笑うオズマに、アルトも緊張に強張っていた表情を、ふっと緩める。
そう、こんな緊張など、不要なのだ。
「それ、遠まわしにアンタを褒めて無いか?」
「当たり前だ。俺あってこそのお前だろうが」
「嫌だわオズマ。いかがわしい」
オズマの背後で、こちらのやり取りを静観していたボビーが、ま。と口元に手を当てている。
「な!?何がだ!?どこがだ!?」
途端、振り返って怒鳴り返すオズマに、ボビーがやれやれと首を振る。
「無自覚なのは罪よね本当」
「わけの分からんことを言うんじゃない!」
「わけが分からないのは、あ・な・た!アルト姫見て思い出したわ。聞こうと思ってたんだけど、作戦ネームが『突撃ラブハート』ってどうなの?」
「…何が悪い」
途端、弱気な声のオズマに、キャシーが続ける。
「確かに、良いとか悪いとか、そう言う問題を飛び越えてるわね。良いことオズマ、報告書に『突撃ラブハート』って書くのよ?」
「アルト姫の活躍も、『以上、突撃ラブハート作戦にて完遂』とか締めくくられるのよ」
「フロンティアの…いいえ人類の歴史に間違いなく残る作戦が『突撃ラブハート』よ?あなたが、あの時、それはもう大々的に叫んじゃったお陰で」
畳み掛けるようなキャサリンとボビーの言葉に、オズマが負けじと怒鳴る。
「カッコいいだろ!何が悪いんだ!」
「開き直っちゃったわ。ダメよオズマ。男の開き直りなんて、ろくでもないんだから」
「お前が言うな!」
オズマとしては、開き直って、それはもう潔く性別放り出したボビーにだけは、言われたくは無い台詞だ。
そんなオズマとキャシーとボビーのやり取りを、ぽかんとした表情で見ていたアルトが、くつくつと笑い出す。
「ちょっと、アルト姫、どうしたの?」
「あんた達、ずっとそんなんだったのか?」
そんなん、と形容されたのが今の自分たちのやり取りである事に、ボビーが失礼ね、とぶんぶんと顔の前で手を振る。
「そんなわけ無いでショ。それはもう、波乱万丈だったんだから!それなのに!アタシの心配をヨソに、ちゃっかりこの二人なんかヨリ戻してるし!」
いつの間に取り出したかは謎だが、真っ白なハンカチで涙を拭いながら、ボビーがキャサリンとオズマを指差す。
「…えーと…隊長と……中尉…が?」
オズマとキャシーの関係は、それとなくは推察してはいたが、と言うかその点は勘の良いミハエルが、言っていた話でアルト自身が確信に至るような話ではなかったのだが、今目の前に居る二人は、そうと分かる二人だ。
途端、頬を赤面させてあらぬ方向へと視線を泳がすキャシーと、微妙に照れ臭そうな顔で、頬を掻くオズマが居る。
「その、何だ…まぁ、そう言う事、だ」
だ、と最後は胸を張るオズマもどうかと思うのだが、二人の関係はそう言う事なのだろう。
自分たちと行動を別にしている間に、随分と色々とあったようである。
だが、目の前の二人は晴れやかな笑みを浮かべて居る。
アルトは、その様相に、ふっと笑みを零した。
皆、笑顔だけを手に、此処に居るのでは無いのだ。
喪い、傷つき、涙を零し、嘆き、叫んだ。
望んだ死など、誰の元にもありはし無かった。
生きて、再び、笑いあう為に、戦った。
死んでいった者に対して、今ここに生きている事を嘆く事は、何よりの冒涜である。
だから、アルトも笑う事を、選んだ。
小さくても、大きくても、幸福が存在する今を、誇れるように。
「まぁ、良かったんじゃないか?と言うか、銀河の奇跡だ」
「少尉?」
「ミシェルと男もできないだろうなって危ぶんでたんだけど、ちゃんと出来たみたいだし?」
「アルト少尉!」
キャサリンが憤然と怒鳴ると同時に、アルトが三人の傍らをするりと通り抜ける。
「じゃ、お先に!」
酷く印象的な笑みを残して、逃げるように走り去るアルトに、キャサリンが思わずと言った風情で呟く。
「ねぇオズマ、あの子、あんな風に笑う子だった?」
「…あいつだって、色々あったんだ。変るものがあっても、何もおかしな話じゃない」
それでも、その変化は、どこか痛ましい。
今のアルトには、寄る辺が無いのだ。
じわりじわりと、勝利の立役者として扱われ出しているアルトの周囲は、今までと様相が変わってきている。
ランカとシェリル・ノームが歌姫として、並び立つは出来ても、パイロットの早乙女アルトの横に、並べる者が居ない。
「…早くミシェルが目覚めてくれたら、良いんだけどね」
ボビーの呟きに、オズマも重いため息を一つ零す。
肩を並べて居た二人の姿が、今はもう遠い昔の情景のようにすら思える。
未だ、目を覚まさぬもう一人の部下を思い、そして、ただ待っているだけしか出来ない自分達の不甲斐なさに、オズマはもう一度ため息をついた。

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