極彩色の悪夢・7

夜間フライトへと向かった機影のテールランプが星空にまぎれてしまうまで、アルトはそれをただ静かに見つめる。
戦火に彩られた空でも無く、轟音が轟く空でも無く、ひそりしながらも、どこまでも平穏に満ちた空が頭上に広がっている。
願ったものを確かに手にした筈なのに、気分が晴れる事など無かった。
勝利の喜びだけでは、人は生きてはいけない。
すべき事は目の前に山とあり、その忙しなさが自分の沈み込む心を救う一方で、この先、自分はずっとこんな感情を胸に生きて行くのだろうかと言う、漠然とした不安感もあるのだ。
何も考えずにすむのなら、いっそどれ程に楽だろうと思う。
けれど、人は考える事を止められぬ生き物だ。
歌声を追い飛び立って行くヴァジュラ達の、そのいっそ分かり易いまでの行動理念が、羨ましくもある。
何も考えずに、ただ求めるままに飛べたら、それはどれ程に幸福な事だろう。
くだらない思考に、零れたため息に重なるように、やや下方からどこか皮肉めいた声がかかった。
「疲れてるようだな」
「そう、見えるか?」
「不健康そうな顔だ。死地に赴く兵士でもあるまいに」
実に率直なクランの言葉に、アルトは苦笑いを浮かべる。
そうして、視線を遠くへと向ける横顔は、どことなく憔悴しているように見えるのは、何も間違いでは無いのだろう。
アルトの横に並んだクランは、内心ため息をついた。
アルトの多忙さは、異常でもあるのだ。
正直、フロンティアの軍部関係者には、余裕ある日々を送っているものなど、居はしない。
それでも交代制での休暇は必須事項であり、余暇を持てないわけでは無いのだ。
だが、アルトに休めと言った所で、やれ式典だのが入ればほぼ強制参加に近い状態で出席せざるを得ない。
それでも、周りが腐心して強引に休みを取らせて居たのだが、『あの日』以来、アルトは以前にもまして空に上がるようになった。
「だが、お前は、充分に良くやっていると思うぞ」
「そうか?大尉にそう言って貰えるとありがたい」
二人の言葉のやり取りは、互いの口調故か何処か硬く聞こえはするが、交わされる言葉の中身は、いつも奇妙な程に穏やかなものが多い。
あまり冗談を介在しないアルトの語り口調は、クランにとっても静かに会話が進められる貴重な相手でもある。
何かと言葉尻を捉えて茶化す傾向の強い幼馴染と会話していると、特にそう感じられるのだ。
一時はその幼馴染の冗談めいた会話が、懐かしくてならなかったが、今となっては、少々うっとうしく感じられる。
全く人と言うものは、身勝手な生き物だ。
無いものねだりばかりを、繰り返している。
「で?会いには行かないのか?」
「……」
「それはもう焦れた顔をしているぞ」
誰の事かを明確にせずとも、自分たちの間で今、口に登る相手など一人しか居ない。
「…そうか?俺が居ても居なくても、今は何も問題ないだろ」
「動けるなら、お主に急襲を掛けているとは思うがな」
「…」
黙するアルトに、クランは何を言うでもなく、手すりに体重を預けてハンガーの無機質な天井を仰ぐ。
住環境を整える準備は、急速に進めらている。
近いうちに、この金属で構成された重苦しい天井を見上げる日も無くなるのだろう。
この新たな母星で、自分達は着実に歩み始めている。
「俺は……自分で、選んで、ここに居る事を決めた」
ぽつりと、そうつぶやくアルトを、せかすでも無くクランは黙って見守る。
内情を語ることが、アルトは酷く下手だ。
そう言う環境で育った事と、本人のどこか意地っ張りな性格も関係しているのだろう。
とはミハエルの言である。
全くもって、よく見ている。
今や『英雄』のこの青年は、露骨すぎる表情を見せるくせに、いざ己の感情を語らせるとなれば、途端、言葉は封じられてしまう。
それこそ今までの多感さは何処に消えたのだと思うくらいには、表情も言葉も上手い具合に隠されてしまうのだ。
本音を引き出せる人間など、本当にごくごく僅か、なのだろう。
だから、クランは、こぼれる言葉を急かすでも無く、ただ待つ。
自分にそれを零してしまう程には、今のアルトは、不安定なのだ。
「俺のパイロット志望動機とか、そう言うのは全部、アイツはずっと否定してた。家から逃げてるだけだろうって。この戦いが始まって暫くした頃に、兄弟子にも言われたよ。パイロットって言う役柄を演じてるだけだろうってさ」
数年ぶりに、突然に顔を見せた兄弟子の言葉は、色々な意味で強烈だった。
矢三郎なりの、必死の説得だったのだ。
今なら分かる。
あの時ならば、確かに自分は、引き返せた。
早乙女一門の後継者として。
けれど、その道は、自分の望んだ道では無い。
むしろ、あれほどに一門を思う兄弟子こそが、その名を継ぐに相応しいのだ。自分ではダメだ。早乙女を大切に思うけれど、早乙女の為には生きられない。
「正直、ぐらついた。…それでも、俺は、俺なりの思いを持って、飛ぶことを選んだ。戦うことを選んだ。でも、結局、甘かったんだよ、たぶん。こんな…フロンティアとか人類の存亡すらかかった戦いまでの覚悟、できてなかった」
そこで、言葉を切って、アルトは自分の顔を両手で覆うようにして、深く息を吐き出した。
戦争の最中に、感情全てを冷静に振り分けて行動できる者が、どれほど居ると言うのだろう。
ましてや、アルトが軍属になってから、まだ一年も経過していない。
『軍人』の心構えなど、アルトに出来るはずも無いのだ。
「アイツの代わりに、出来ることをしようと思った。あいつが飛べない分、俺が飛ぼうと思った。…でも、俺は、そんな風に、アイツを自分の逃げ道にしたんだ、きっと」
自分は分かって居なかった。
分かったような顔をしていながら、分かって居なかった。
身近な人間が、傷つき血を流すその場面を見るまで。
倒れ伏し、動かぬ姿を見るまで。
『戦争』の本当の姿を、分かって居なかった。
覚悟など、できていなかったのだ。
真実から目を逸らすように、衝動のままに、戦いを選んだ。
「こうやって、全部終わってみて、よく分かったよ。俺はあいつの不幸を利用してただけじゃないかってな。自分が戦うための、大義名分にしてただけだ。…戦いが終わっても、与えられた役を降りられないまま、俺は、ココに居る。目覚めたあいつに、今まで何をしていたのか、どうしていたのか聞かれても、俺はきっと、今の自分の事を、胸を張って答えられない」
変わりたかった。
だから、パイロットになった。
死にたくなかった。
だから、戦った。
許せなかった。
だから、殺した。
変われなかった。
だから、演じている。
また。結局。
この悪循環を、自分はもう止められないのかも知れない。
そうして、お前は何も進歩していないなと、そう断じられるのが、怖い。
目覚めたミハエルが、自分をそんな風に見るのが、怖い。
あの目が、侮蔑の視線で自分を射抜く瞬間など、想像も出来ない。
「で?それが俺に会いに来ない理由だって?」