極彩色の悪夢・5

「アルト先輩は!?」
「少尉なら医務室」
くいと、親指で通路の奥を示す整備員に、ありがとうございます、と言って、ルカは転がるように駆け出す。
アルトが行方不明になってから、丸3日。
その間、ルカ達と入れ違いになるように、別機がアルトの行方を捜すべく飛んでいたが、ヴァジュラは依然としてあの一帯を飛び交っており、状況に何ら進展は無いままだった。
可能な限りに電波網を広げて、どんな些細なコンタクトでも見逃すまいとしていたルカだったが、とうとう昨晩仮眠室にての強制的な睡眠を命じられた。
不承不承、ではあったものの疲弊しきった体は睡眠を拒みきれず、きっちり6時間半、夢すら見ずに眠ったルカへの目覚めての第一声は、おはよう、でも何でもなく、早乙女アルト中尉が帰還した、の一言だ。
場所も聞かずに飛び出したルカは、ハンガーに収まって居る随分と薄汚れてしまったVF−25Fを見つけ、それに群がって居る整備員にアルトの場所を聞くと言う、ようやくの作業が行えたわけである。
「アルト先輩!」
カーテンを引きちぎるようにして引けば、少し驚いた風情でアルトがこちらを見る。
「よう」
「……よう、じゃありませんよ…」
軽く片手を上げて笑いかけたアルトに、一気に力が抜けたのか、へなりとその場に座り込んだルカは、やおらアルトをキっと睨んだ。
「機体ロストの一報の後は、無線は通じないし、現地に飛べばバジュラが飛び交ってるし!どれだけ心配したと思ってるんですか!隊の人間に話を聞いても要領得ないし!先輩、部下の教育なってませんよ!」
遠慮容赦の無い怒声に、アルトが首を竦める。
どうにも最近、この後輩が厳しくて仕方が無い気がするのは、アルトの気のせいでは無いのだろう。
ガミガミと叱る言葉が一通り途切れた所で、ルカが長く息を吐き出して、改めて視線をアルトへと定めた。
頭のてっぺんから、つま先までを、しっかりと確認するように見る。
見たところ、目だった外傷も何も無い。
重傷であれば医務室などでは無く、病院に運ばれている筈なのだから、当然ではあるのだが。
「一体、何があったんですか」
「ヴァジュラの群れと、ぶつかったんだ」
「え」
思いがけない言葉に、ルカが目を瞬く。
「全員子供だった…んだと思うが、人で言うなら、出会い頭に衝突って言うか…とにかく連中がいきなり浮上してきたんだよ。レーダーに映ったのと目視できたのが、同じタイミング。ぎりぎりで避けるには避けたんだが、連中の尻尾か何かがエンジン部分に直撃。直後にエンジンストール。で、連中は火に驚いたのか大混乱で飛び回るし、こっちもジャングルの中で身動き取れなくなるわで、ヴァジュラが大人しくなるまで延々待機。まぁ腐っても航宙科ってわけで、航行可能にまで持ち直して、連絡飛ばして、途中で捜索隊にVF-25Fを回収して貰って戻って来たんだよ」
そうやって、この3日間の状況を語るアルトの口調が、あまりにも淀みが無さ過ぎて、ルカは言葉を返せずに瞬きをする。
だが、言葉が脳内に浸透する中、ルカは何処か呆然とした口調で、アルトの言葉を繰り返した。
「エンジンストールって…」
つまりはエンジンの機能停止だ。
エンジン稼動の機械にとっての、これ以上の致命傷は無い。
「墜落…したんじゃないですか!」
「いや、まぁ…高度があった分、一応は着陸、出来たんだよ」
「高度があって回避行動も取れて…なんで………あ」
それにより導き出される事が一つだけある。
アルトの腕を持ってしてならば、攻撃、出来たと言う事だ。
だが、オズマが言ったように、ヴァジュラは『敵』では無い。
だから、アルトは避けるだけに留めた。
その結果が、これ、だ。
「でも!でも、ですね!その後に、緊急回線でも使って直ぐに連絡をくれれば!」
「…VF-25Fサジタリウス1ヴァジュラと遭遇後墜落、何てあちこちに流れたら不味いだろ」
今この惑星内での緊急回線は、広範囲での傍受を最優先とさせいている為に、軍だけでなく電波傍受できる範囲に届く。
いかに統制を強いられている状況とは言え、その手の知識を持つ者が好奇心がてらに、軍の電波を傍受するのは、それこそ地球時代からの悪習のようなものだ。
無造作な口調で告げるアルトに、ルカは噛み付くように言う。
「そんな事の為に…っ!」
「今は、俺が、ヴァジュラに撃墜された、って話だけは流すわけには行かない」
ヴァジュラは敵で無いとそう語った所で、目の前で家族や恋人を殺された人間が、そう簡単に受け入れられる話では無い。
戦場を共にし、ヴァジュラが自分たちを守ってくれたのだと知って居る者とて、仲間や家族を傷つけられ殺され、故郷を破壊された憤りが胸にあるからこそ、そう易々とは受け入れ難い思いがあるのだ。
シェルターの中で、ただ戦闘の終結を知っただけの人々にとっては尚の事、実はヴァジュラは人間を理解しきれぬが故に攻撃していただけだ、と言われて納得しろと言う方が無理なのである。
そんな中、人間がヴァジュラによって攻撃された、負傷させられた、そんな情報が流れたら最後、どんな騒ぎになるかは誰にも想像がつかない。
ヴァジュラの母星である此処から、飛び立つ事を切望する人間が、パニックでも起こせば収拾が付けられないのだ。
今の新政府には、そこまでの抑止力は無い。
だからこそ、アルトは動かなかった。
周囲の状況も瞭然としない中で、墜落した機体と共に、アルトはヴァジュラの群れが去るまで動かなかったのだ。
この未知の惑星で、それが如何に無謀な行為であるかを思い、ルカは背筋がぞっとあわ立つのを感じる。
現段階の調査で、この惑星にはヴァジュラ以外の生命体が多数、生息している事が確認されている。
彼らが、人間を『エサ』と認識しないとも限らないのだ。
銃を含めての一通りの装備は渡されては居るが、あくまで緊急時のものであり、弾数にした所で無限では無い。
「そんな…、そんなっ!知りもしない人たちに回す気があるなら、僕達に回して下さいっ!どれだけ心配したって思ってるんですか!」
「すまない…」
「謝ればすむと思ったら大間違いですからね!後でシェリルさんとランカさんにも怒ってもらいますから!」
ランカとシェリルの名に、アルトが軽く目を見開く。
「あの二人にも知らせたのか?」
「知らせなかったら、僕がどんな目に合うと思ってるんですか」
我が身可愛さを優先させた事を、堂々と宣言するルカだが、アルトにしてみても、その心境は分からなくも無い。
ランカはともかく、シェリル=ノームは、間違っても敵になど回すべき存在では無いのだ。
「………」
『この後』の事を考えてか、微妙に引きつった表情を浮かべているアルトに、ルカはため息を向けた。
ランカとシェリルに知らせないでおく事は可能だったのだが、ルカの独断で、ヴァジュラを移動させる為に歌姫二人に密かに協力を要請していたのだ。
明確な言語での意思疎通は不可能ではあるが、あの二人はヴァジュラに通ずる『音』を持ち合わせている。
何より、アルトの為ならば、ランカもシェリルも一も二も無く、動いてくれると分かっていた。
「とにかく、無事でよかったです」
「本当に悪かった」
素直に謝罪の言葉を口にするアルトに、ルカは念押しのように言う。
「金・輪・際、ごめんですからね!僕は、先輩二人分のお見舞いに行ってられる程、暇じゃないんですから!」
「そうだな。お前、忙しいもんな」
「そんな所だけ素直にならないで下さい…本当にもう…僕が心労で倒れたら絶対アルト先輩のせいですからね!」
「その時は責任を持って俺がお前の看病をするよ」
「いりませんよ。そんな事になったら、ミシェル先輩が怖いですから」
自分がアルトに看病して貰った、そんな事実はミハエルに知られたくも無い。
アルトに関してだけは狭量の極みであるミハエルだ。ばれたら、と思うだけで気分が落ち着かない。
だが、そんなルカの正面で、アルトが苦笑一つ浮かべて言う。
「起きてこない限り、ばれないさ。永遠に」
口調こそ軽いが、その言葉に混ざるどこか諦観めいた空気に、ルカは今までとは違った意味での怒りを、はっきりと見せた。
「…アルト先輩、怒りますよ」
「悪い」
視線を落とし、アルトが膝の上で両手を組み合わせた。
「言って落ち込むなら言わないで下さい。そのうち起きて来るって言ったの、アルト先輩ですよ」
「そうだな」
自嘲めいた笑みを浮かべるアルトに、ルカも何とも言えない気分になる。
ミハエルは、何も知らないままに、ただ眠っているのだ。
アルトの身に起こった事も、これから起こる事も、それからこんな風に笑うしかないアルトの事も、目覚めぬ限りは知る事は出来ない。
こうしてアルトが無事に戻って来たからこそ言える事だが、ミハエルの知らぬ間に、アルトの命が潰えていた、そんな可能性すらあったのだ。
それが、どれ程に、恐ろしく寂しい事なのか。
互いを思い合っていた二人が、何も知らない間に、知らせる事も出来ぬ間に、永久の別れを迎える、こんな皮肉は無い。
争いの無い地に降り立った筈なのに。
しんとした、静けさを破るように、コンコンと扉の代わりのように、カーテンレールをノックする音がする。
「説教は済んだか?」
「「隊長!」」
ルカとアルトが揃って、声の主であるオズマを振り返る。
変わらず自分を隊長と呼ぶ二人は、オズマにとっても未だに部下なのだ。
いつだって気がかりではあるし、助けてやれる事ならば、手を差し伸べてやりたいと思っている。
けれど、実際にオズマが出来る事は、あまりにも少なすぎた。
アルトの判断を叱り飛ばせない程度には、統治者側の思惑も、今のこのフロンティアの状況も、分かり過ぎている。
「ま、とにかく無事で何よりだ」
「…迷惑かけたみたいで、すみません」
殊勝に謝るアルトに、オズマはひらひらと左手を振って、それをいなす。
謝って欲しいわけでは無い。
生きて、無事である事だけで充分なのだ。
「とりあえず、今日は一日検査だそうだ。それ終わったらまっすぐ帰れとさ」
「了解」
「で、ルカ。お前はアルトがふらふら出歩かないように、しっかり監視してろ」
「はい!」
監視、と言う単語に、アルトが微妙に複雑そうな顔をしているが、さすがに疲れても居るのだろう、特に何も言わずに小さくため息を零すに留めている。
「と言うわけで、解散だ。しっかり検査してもらって来い」
そんな言葉でアルトとルカを送り出し、オズマは欠員補填の為にハンガーに向かう。
アルトのVFの周りで、整備員がいつに無く興奮した風情で言葉を交わしている。
ハンガーは、未だ妙な興奮状態にあった。
アルトの無事を知らせる一報に、歓声が上がった事を、当人は知る由も無いのだろう。
軍とは無縁の世界で、元からそれなりに『有名人』であったらしい少年が、今やこのフロンティアの救国の英雄そのものだ。
皆がその一挙一動に注視している。
「うかうか寝てる間に、掻っ攫われても知らないぞ」
此処には居ない誰かにそう警句をひそりと呟くと、オズマは自分の機体へと足を向けた。