ごうんごうん、と鈍く響く音を立てて、空調システムが稼動している。
その音に重なるように戦闘機の飛び立つ音と、金属を打ちつける音や切断カッターの立てる甲高い音が、響く。
朝も昼も夜も、今は関係の無い時期なのだ。
誰もが昼夜を問わず、目の前のことに必死に取り組んでいる。逃げても居る、のかも知れない。
そうする事で、少なくとも一瞬であろうとも、現実を忘れ去れる事が出来るのならば、そうするのが人なのかも知れない。
現実とは、幸福ばかりで作られたものでは無いのだ。
「ルカ」
背後から掛けられた声に、ルカはばっと勢いよく振り返った。
「隊長」
よ、と片手を上げて近づいて来るオズマは、ルカの見上げていた機体を見、それから何かを探すように周囲へと視線を向ける、
「アルトは?」
「ミシェル先輩の所です」
「そうか…」
ミハエルの名を口にする時、どうしても自分たちの声に苦いものが混じるのは、仕方の無い事なのだろう。
「あの、隊長」
「何だ」
「アルト先輩、大丈夫、でしょうか」
「ミシェルの事か?」
問えば、ルカがこくりと頷く。
アルトとミハエル。
この二人の関係がただの友人、の一言では片付かないものだと言う事は、オズマとて理解している。
多種多様に富んだ恋愛事情に溢れ返っているフロンティアで、恋愛とは結婚とは夫婦とはかくあるべき、と言う模範は疾うに意味を失って久しい。
無論の事、古来よりの男と女、と言う分かりやすい恋愛事情が大勢を占めているのは事実だ。
結果的に婚姻まで到達するのも、この男女の夫婦が一番多いが、男女でなければならない、と言う絶対は消え去った。
ボビーが言うには、愛に性別など関係無い、と言う事らしい。
その認識が万人に通ずるかはともかくとして、諸々に緩いS.M.S.では、
アルトとミハエルが所謂『お付き合い』をしている事は、公言憚らぬ、と言うよりも、アルトに寄り付く者を威嚇し牽制するミハエルによって、周知されていた事実だ。
オズマ自身が知ったのは、それなりに遅かったのだが、まぁ部下であったミハエルの思わぬ一面を垣間見た、と言うような心境ではあったのだ。
SMS内でも既にして、方々浮名を流し、女を連れ込んでいる云々の話も、ちょくちょくと耳にしていた相手である。
それがアルトと同室になった途端に、その手の話は上らなくもなったし、何よりアルトが居るせいか戦闘中も以前よりも落ち着いても見えた。
腕は悪くはないのだが、新人で無鉄砲で、と諸々の懸案事項が山積みな相手である。
援護する側としては、うかうかと気を抜いても居られなかったのだろう。
戦闘中は勿論のこと、『軍』にも『軍人』にも不慣れなアルトのフォロー役としても、ミハエルはアルトの傍に居た。
同じ17歳の男としても。
一番、人生だの、生き方だの、些細な事に躓いたり悩んだりもする年齢だ。
お互いが、良き喧嘩相手であり相談相手であり、一番遠慮なく向き合っても居たように思う。
それから、世間一般の17歳よりも世俗に疎いアルトを、世の中を斜めに見る癖のついているミハエルが、それとなくフォローしていたのだろう。
あの、事件までは。
「はい。…毎日毎日、空を飛んで、お見舞いに行って、それの繰り返しばっかりです」
「そんなヤツは、ここにはいくらでも居るだろう」
アルトとミハエルだけが、特別なわけでは無い。
ある意味、『生きて』いる分、ミハエルにはまだ希望があるのだ。
大切な者を、髪の毛一本すら手にする事も叶わないままに喪った者は多い。
そんな中で、少々多忙であろうとも生きているミハエルを見舞えるアルトは、充分に幸せだ。
「そんな…だって…」
オズマの正論すぎる正論に、ルカは肩を落とす。
ルカは、待って待ち続けて、ナナセが目覚めてくれた。
アルトは我が事のように喜んでくれて、良かったな、とそう笑って自分の肩を叩いてくれたのだ。
けれど、それから幾日経とうとも、同じ病院でミハエルは眠ったままだ。
だからこそ、それが居た堪れない。
「お前が見てるの辛いから、どうこうしろって言うのは筋違いだぞ。俺達に出来る事なんざ、何も無い。頭殴ってアイツが起きるならそうしてるさ」
「分かってます」
「それで、あの馬鹿の勤務状況は?」
「え…あ、はい!」
慌ててルカは手元のハンディを取り出し、慣れた仕草でキィボードを叩くと、アルトの勤務予定表を呼び込む。
画面を提示すれば、それを暫し睨むように見ていたオズマが、微妙に不機嫌そうな顔をする。
「…なんだこの、無茶苦茶なシフトは」
「だから言ってるんです。…上は…アルト先輩を引っ張り出して、分かりやすい士気の向上を図りたいんだとは思いますけど。特に未開地域へのフライトには必ず組み込まれていて…。それに式典にも必ず呼ばれてますし、アルト先輩、休日でも行きますって頷くし…」
「この式典ってのは…ランカと一緒のアレか」
「そうですね。特にこの式典は、『臨時政府』からの依頼ですから、断りきれるものでも無いし…そもそも、僕じゃ、無理なんです。上へ出したシフト見直しの意見もなかなか聞き入れては貰えなくて。」
言えば言う程に肩を落としていくルカに、オズマはがしがしとその頭を乱暴にかき混ぜてやる。
「分かった分かった。何とかしてやる。新統合軍の方と話を通すくらいは出来るからな」
「本当ですか!?」
頭に乗せていたオズマの手ごと撥ね退ける勢いで、ルカは勢い良く顔を上げる。
「あぁ。一応は古巣だからな、顔馴染みくらい居るさ」
「お願いします!」
頷くオズマに再び同じ勢いで頭を下げるルカに、オズマは笑ってその頭をぽんぽんと叩いてやった。
どれ程に優秀な頭脳を持っていようとも、ルカは15歳の子供であり、軍と言う枠組みの中では、満足にその力を活かす事も出来ない。
子供と言うだけで交渉の場すら与えられないのだ。
ならば、それをどうにかしてやるのが、大人の勤めだろう。
「その前に、あの馬鹿に休めって説教するのが先か…一発殴って沈めるのが一番楽なんだがな」
ほんの数秒前まではこの上なく頼りがいのある人に見えたオズマが、一気にがらがらと崩れ去る。
そうだ。この人、こう言う人だった。
ルカが微妙に頬を引きつらせて、オズマを見上げた。
「あの、お手柔らかに…」
「分かってるさ。冗談だ冗談」
繰り返された言葉に信憑性の欠片も無いのが、どうにも不安で仕方が無い。
無いのだが、現実、自分では打つ手なしの状況であり、他にアルトを動かせる人間と言えばオズマ以外には思いつかないのだ。
この際、殴ってでも良いからアルトを休ませてくれるなら、それでも良いと言う気がしてくる。
「ほら、お前も、そろそろ休んで来い。ガキが起きてる時間じゃ無いぞ」
「ガキじゃありません」
「大人しくガキ扱いされとけ。じゃないと、俺たち年寄りの立つ瀬が無いしな」
そう口にしてオズマはアルトのVF−25を見上げると、ヒラと手を振ってルカに背を向けて歩き出す。
あの機体に、あの翼に、命運を委ねた。
委ねられたものを裏切る事なく、アルトは飛び切った。
そろそろ、少しくらい羽を休めても良い頃合だろう。
一先ずの平和は手中にあるのだ。
「さて、情けない大人からまずは片付けるとするか」
主立った『上官クラス』の連中の顔を思い浮かべながら、オズマはやや足早にハンガーの通用路へと、ブーツを踏み出した。