すべてを失ったとしても、未来だけは残ってる

「お疲れ様です!」
VFから飛び降りてきたアルトに、整備班から軽い敬礼一つと共に声がかかる。
それに同じように敬礼で応じながら、アルトは整備道具を近づいて来たVFに関して気づいた事を、順に述べていく。
メモやらを片手にふんふんと頷き、データを呼び込んだモバイルを覗き込み、あぁこの数値がどうのこうのと、数人が頭を寄せて居る。
「パンタグラフの稼動が鈍く感じるのって、ここの大気の影響っすかね?」
「フロンティアと同じようで、やはり違うか」
「フロンティアじゃ、予測範囲を超えるような誤差は生じないからなー。これ、各機体でデータ取り直しだな。後で伝達しとけ」
「了解っす。んじゃ、このデータ、ベースに転送しときます」
ばたばたと整備班が動き出すのを見ながら、アルトが声をかける。
「面倒をかけるな」
「構いませんよ。むしろこれが仕事ですから。と言うか、中尉が一番熱心に飛んでくれるんで、こっちもデータ取りやすくて助かってますし」
整備主任の言葉に、アルトが首をかしげる。
「皆、結構、飛んでるだろ?」
「いーえ、中尉がダントツ、ですよ」
自由に飛んで良い、と言う許可を得たアルトは、水を得た魚のように、それはもう楽しそうに空を飛んでいる。
VFが動かせないなら、EX-ギアで、と言う具合に、とにかく、飛んでるのだ。
正直、戦闘機は見たく無い、暫く飛びたくは無いと言うパイロットが多い中で、アルトの行動は特異だが、それでも本人は楽しんでいる上に、整備する側としてはデータがざくざくと手に入るので、非常にありがたいのだ。
もう有り得ない事だと言いたいが、万が一、『敵』が出現した際に、戦闘手段である機体が使い物にならない、などと言う事態だけは避けねばならない。
平和を手に入れて、それに慢心してしまいたい所だが、そうでは居られないのだと言う事も分かっている。
VFの装甲の1部分を開けて、コードを接続しながら整備班の一人がアルトに言う。
「でも中尉も大変ですね」
「何がだ」
「妹を溺愛している怖い『お兄ちゃん』が、二人も居るんですよ」
「二人に一発ずつ殴られますね。これは万国共通のセオリーですし」
横から、別の声が割り込み、アルトは瞬きをする。
「だから、何でだ」
心底、不思議そうに問い返すアルトに、もくもくと作業していると思っていた一同が、その手を止めて声を揃えたように叫ぶ。
「え?えー!?少尉、あれ全部スルーしちゃうんですか!?」
「は?」
全部?スルー?
頭の中にクエスチョンマークを飛ばしながら、アルトが自分を取り囲む連中を見やる。
整備班、とは言うものの、その顔ぶれはS.M.Sからの付き合いのある者と、新統合軍の者とが混在している。
政治中枢は未だ混乱の只中にあり、軍の体制どうのこうのは二の次なのだろう。
官位も何もかも丸投げで一先ず『軍』は全て一括りにして放置されている状況であり、それでも居住空間の調査や物資の運搬諸々などで、軍に要請が入る以上は、自分達でどうにかするしか無いとの結論に達するのは、当然の流れだ。
それさえ分かれば行動は早く、かつての指揮系統を生かして、上官クラスが話をまとめては末端に指示を出している。
その無茶苦茶具合を物語るように、オズマ達のようにS.M.Sとして別行動をした者はアルトを未だに少尉と呼ぶし、新統合軍の者は中尉と呼ぶのだ。
無論の事、『姫』と言う不名誉な渾名までが、新統合軍にまで波及しているのは、由々しき事態であるが、最早手遅れの様相である。
「中尉!アイモって、恋の歌なんですよ!?知ってますよね!?」
「あ、あぁ。そうらしいな」
「あの時、ランカちゃんが歌ってた相手って、間違いなく少尉でしょうが」
「と言うか、シェリル・ノームも、あっっきらかに!中尉の為だけに歌ってたじゃないですか」
口々に喚かれ、詰め寄られ、アルトがやや後ろに身をのけぞらせて居る。
「……俺だけの為、じゃなかっただろ、あれは」
「えぇ。えぇ。えぇ。確かに、彼女達は我々人類の為にも、歌ってくれては居ましたけど!」
「根底は、どー考えても中尉ですよ」
「中尉がちゅどーんって消えたら歌止まりましたしね」
「………」
ちゅどーんって、何だそれは。
人が死を覚悟した瞬間も、最早ちゅどーんで片付けられるのか。
喉もと過ぎれば何とやらとはこの事か。
アルトがこめかみを引きつらせている事など気づかずに、ずいと間合いを詰めて来る。
「で、どっちにするんです?」
「はぁ?」
「タイプは違えど、二人とも魅力的な女性ですよ」
「俺だったらランカちゃんだなぁ。手料理とか作ってくれそうだし」
「ばっかお前、大人の魅力全開のシェリルのよさを分かって無いな」
喧々諤々、とまではいかないように、後はシェリル派、ランカ派に分かれての褒め合戦の開始である。
暫し呆然として聞いていたアルトに、一人が言葉を向けた。
「でもいいなー少尉ー羨ましいー」
「どっち選んでもハズレ無し、じゃないっすか」
「あのなぁ…」
男が寄り集まると下世話な話に直結するのは、もうどうしようも無い。
ここ暫くは色恋沙汰など誰も口に出来ぬ状況だっただけに、今はあちこち浮き足立っている、と言う話をアルトでも耳に挟むくらいだ。
「はいはい。その辺にしておいてね、うちの姫をからかうのは」
ひょいと機体の反対側から聞こえた声の主に、視線が集う。
「ミシェル」
「全く。ちょっと目を離すとこれだ」
ぐい、とアルトの肩を掴んで引き寄せたミハエルが、アルトに群がって居る連中を一睨みする。
「これから姫は仮眠取るんで、お先に失礼」
これ以上構うな、とそう言外に告げるミハエルに、絡んでいた面々が大人しく引き下が、りはしない。
「ミシェル、アルト姫がどっちを選ぶかで。俺たちの命運は大きく変るんだぞ!」
ついこの間まで、本当に命運を賭けての戦いの最中だった連中が使うと、あまりにも軽々しい命運のように思える。
「命運、ねぇ?で?ちなみにシェリルの場合、オッズはいくらなんだ?」
「「「………」」」
揃って沈黙する面々を見渡し、ミハエルがふんと鼻で笑う。
威嚇の目線と、牽制。
これ以上近づくな、余計な事を言うな。
仲の良い友人を庇うにしては度が過ぎているとも取れるミハエルのその態度に、S.M.Sからの付き合いの面々は、にやりと人の悪い笑みを浮かべていたりもするのだが、そんな事は万事において鈍いアルトの気づく所では無い。
「姫、行くよ」
「オッズ…?…あ、あいつら!」
ずるずると引き摺られるままに歩いていたアルトがようやく自分が賭けの対象にされていることに気づいたのか喚き出すが、今さら言ってどうなるものでも無い。
ゴシップネタも湧いて来ない今、歌姫2人に思いを向けられているアルトが、どちらを選ぶのかは、軍内の男共の格好のネタなのだ。
上官クラスも、日々過熱している賭けの行方を、苦笑いのみで黙認している状況である。
結果がどうなろうと、いまや『英雄』に近いアルトに、被害が及ばないと分かっているからだろう。
無論、そんな事まで自覚はしていないアルトの手を引きながら、ミハエルが言う。
「どちらにしろ、誰も得しないまま終了するんだ。放っとけば良いだろ?」
「…」
そう。誰も得などしない。
どちらも、選ばれないからだ。
アルトが選んだのは、誰でも無い、この目の前に居る男だ。それを、『分かって居る』男が、だからアルトにとっては憎らしくもあるのだが。
「それは、そうだが…」
ぱっとアルトの手を離し、ミハエルが振り返る。
「だいたい、そんなくだらない事を考えるくらいなら、俺のことも考えては頂けませんか姫?」
「は?」
芝居がかった仕草で一礼するミハエルに、アルトが嫌そうな声をあげる。
そんな反応は予測済みのミハエルが、肩をすくめて言う。
「こっちはまだ飛べないってのに、お前と来たら、隙あらば空に飛びに行くし。恋人の所にもそれくらい熱心に飛び込んで来て欲しいんだけど?」
「…!あのな、仕事で飛んでるんだぞ!」
「仕事半分、趣味半分、だろ?」
そう突っ込んで、ミハエルがアルトの腰をぐいと引き寄せる。
鼻先が触れ合うほどの至近距離で、アルトの顔を真正面から捉えたミハエルの双眸が緩む。
アルトが真っ直ぐに前だけを見て飛び続けた結果が、今、ここに自分達が居る事に繋がっている。
自分の腕の中に居た筈のアルトは、今は随分と遠くに行ってしまったような気がするのは、おそらく感傷なのだろう。
あの戦いの半ばで、戦線を離脱しなければならなかった己の不甲斐なさが、そう思わせる。
自分が知らない間、アルトの背を守り飛んだ者が居る事に、嫉妬すらしている。
結局は、自分の関われぬ事柄を、もう戻らぬ時間や今の自分では追いつけぬ姿、そんなものを突きつけられる度に、やり切れない気持ちを覚えるのだ。
「全く。好きに飛べなんて言うんじゃ無かったよ」
「今更、取り消す気かよ」
アルトにとっては、ミハエルのその言葉が救いだったのだ。
お前は好きに飛べば良いと。
その言葉があったから、振り返らずに、飛んで行けた。
自分が何をしたいか。
それを、忘れずに居られた。
「まさか。男に二言は無い。無いが、今の姫を見るのが不安だ。お前、一人で飛びすぎだ」
「ここじゃ、何も起こらないさ」
「分かってはいるけどな…」
せめて己が飛べるようになるまで、手の中に閉じ込めて置けないものかと、そんな思案を巡らしそうな自身に、ミハエルはため息をついた。
結局そう、ミハエルにはアルトを止められはしないのだ。
空を飛びたいと、そのいっそ切実なまでの願いを知っていたから。
困惑しているような風情のミハエルを見つめ、アルトが自分を抱えたままのミハエルの腕を、トントンと軽く叩く。
「なぁ、ミシェル、俺は此処に帰って来るって決めてるんだ」
「姫」
当て所も無く、どこまでも飛んで行きたいわけでは無い。
自分の飛んだ空を、語りたい相手が居る。
自分の感じた風を、伝えたい相手が居る。
だから、自分は其処に帰るのだ。
そこが、自分の帰る場所なのだ。
「他のどこでもない。ココが、俺の帰って来る場所だ」
背中を預けて飛んだ日から。
真っ直ぐ自分を見ながら、そう躊躇い無く言葉を重ねるアルトを見つめ、ミハエルは小さな吐息を零す。
「…ちょっと目を離してる間に、どこでそんな殺し文句を覚えて来るんだか」
「あのな…」
茶化すな、とでも続くであろう言葉を制するように、ミハエルがアルトを抱きしめて、その肩に顎を乗せるようにして口を開く。
「これじゃ、俺が情けない男そのものだろ」
「ミシェル」
表情は見えなくとも、困惑の混じった声で名を呼ぶアルトの面差しを想像するのは難しくない。
恐らく相手に見えぬだけで、自分の顔も相当に情けないものなのだろう。
「…実際、情けないんだけどな。それでも、良いか?」
「何が」
生真面目な口調で問い返すアルトに、ミハエルは顔を上げその顔を見ながら言う。
「みっともなく、姫の関わる事に片っ端から嫉妬して回ってる、そんな男でも良いかって聞いてるんだよ」
「良いも悪いも、俺はお前が居ないなら、わざわざここに戻ってなんか来ない」
己が何であれ、アルトは戻って来る。
戻って来はするが、飛び立つ事を止めることは無い。
こちらが、嫉妬しようとも、怒ろうとも、だ。
「姫が飛ぶ事には変わりないんだな」
「当たり前だ。だから、さっさと追いかけて来い」
ぶっきらぼうに、けれどどこか照れの混じった声に、ミハエルはアルトの肩に懐くように額を預けて笑う。
再び空に上がるには、早くて2年、遅ければ5年、6年は掛かるだろうとの診断が、己には下された。
身体の負った傷は、ただの傷では無い。
表面上は癒えたとしても、ヴァジュラが身体にもたらした負荷は、そう簡単に払拭できるものでは無かったのだ。
だからこその、残酷なまでのその宣告は、パイロットに空を諦めさせるには充分な歳月であり、理由でもある。
けれど、自分はそれを選べない。
選ばないことを、アルトもまた分かっている。
「…くくっ、いいねぇ、姫は」
「だから、お前はどうして…」
笑い事にされてしまえば、アルトにはそれ以上の切り返しようが無い。
長い長い台詞を諳んじる事も出来るくせに、こと自分の事となれば、口下手なアルトだ。
そんなアルトの途切れた先の言葉を分かっているからこそ、ミハエルはアルトを両腕で抱きしめる。
この命を己が知らぬ間に喪わずして済んだ、その奇跡が、今にして胸の奥を震わせるのだ。
「もう少しだけ、待っててくれ。直ぐに、とは言わない。だけど、必ず追いつくから」
「待っててやるよ。いつまでも」
返された言葉に、ミハエルはアルトの頬に両手を滑らせると、そのまま深く口づける。
触れるぬくもりの全てが、愛おしい。
生きている事。ここに居る事。
伝わる人の温もりが、それを証明してくれる。
こんなものでしか感じ取れぬ程に、生きる事は、あまりにも、あまりにも、儚いものだ。
だからこそ、自分達は進まねばならない。
儚く散った命が、決して無駄では無かったのだと、繋いで行く為に。
「愛している」
ありふれた愛の言葉を囁き、ミハエルはアルトの吐息を奪った。