戦争という道具

「げ」
「わー凄いですね」
EXギアを装着した航宙科の生徒が、空を滑るように飛ぶ。
パイロットを目指すものは当然の如く、EXギアでの滑空が出来なければ話にならないとされている。
ほぼ毎日のように、校舎の屋上からEXギアを身につけた学生達が飛ぶ様が見られるのは、ここ美星学園では見慣れた光景、ではあるが。
「ルカ。褒めてる場合じゃないだろ。あちゃー失敗だな」
「何がですか?バランスも悪く無いですし、最初っからあれだけ安定した速度で…」
飛行技術の称賛に入るルカを右手で制し、ミハエルは若干、肩を落として言う。
「そうじゃない。諦める口実にしてやろうと思ってたんだよ」
「…なるほど、そう言う意地の悪いことを考えてたんですね?」
どこかしたり顔で言うルカに、ミハエルはひょいと肩を竦めて見せる。
「そりゃ考えもするだろ。あいつは、役者だぞ?パイロットなんて、畑違いも良い所だ」
「でも将来の夢が変わる事なんて、誰にでもある話ですよ」
確かに学園では進路の変更など、いくらでも認められる。
本人の自主性を重んじ、それに見合った教育プログラムが組み立てられているのだ。
ともすれば、年齢と言う枠組みも存在はせず、選択科目の幅は実に広い。
現実、年齢で言えば一歳下のルカは、飛び級で自分たちと同じ学年だ。それが許される場所なのだ。
「将来の夢ね…。お前、あいつの舞台見た事あるか?」
「え?いえ…。あんまり歌舞伎と言うか、演劇には興味が無くて…」
そんなルカの返答は、ミハエルには予測済みだ。
隙さえあれば機嫌よくキィボードを叩いてる人間が、ある種の理解力を求められる歌舞伎なぞを観賞する趣味があるとは思えない。
「だろうな。一回、アルトの出てる舞台見てみると良い。ありゃ、根っからの天才だ」
手放しの、称賛だ。
ありふれた言葉でありながら、滅多にそんな言葉を使わないミハエルのその一言は、重い。
あまりに珍しいその台詞に、ルカは一瞬、呆けたようにミハエルを見つめてしまった。
「天才、だから、反対なんですか?」
「勿体ないだろ?才能が無くて周囲の期待にも応えられなくて、ならアレだけどさ、周りが評価するだけの才能もあるのに、何だって、パイロットなんだ?」
「そりゃ、やりたいから、でしょう?」
やりたい。そうなりたい。
憧れは確かに重要だ。そう言った興味を否定する気は無い。
それでも。
「ここでパイロットを目指すって事は、宇宙を飛ぶって事だ」
「…はい」
宇宙がどんな場所なのか。
それを、はっきりと理解している者は、このフロンティアにはそう多くは無いだろう。
何故に未だに『軍』が存在しているのか、その意味も。
何もフロンティアの進行方向に位置する小惑星群を破壊する事だけが、軍の存在意義では無い。
宇宙海賊に始まり、未確認生命体にまで及ぶ、ありとあらゆる『敵』を倒す為なのだ。
無論、そこに存在するのは、命のやり取り、だ。
不測の事態も含めて、フライトに絶対の安全は存在せず、死は常に覚悟しておかねばならぬ仕事だ。
「俺は、覚悟してる。お前も、そうだ」
「…でも、皆が皆、パイロットになれるわけじゃないですよ。このまま、別の職業に進んだりとか…」
「いーや。ありゃ筋金入りだろ。『飛ぶ』事を、念頭に置いてる。って言うか、それしか目標じゃないって言うか」
航空機の設計や、システムルーチンの構築でも無い。
早乙女アルトの目指すものは、パイロットだ。
純然たるパイロット志望である。
「よくもまぁ、家族に反対されなかったもんだよ。いや、案外、猛反対されてるのか?」
「みたいですね。今期から寮生なんだそうですよ。…でも進路って個人の問題でしょう?この先を生きるのは、親でも無くて、僕達自身なわけだし…」
進路の自主性を訴えるルカに、ミハエルが大袈裟な程に首を振って見せた。
「甘いぞ、ルカ。進路問題ってのは古今東西、親の期待と意向ってのが、とんでも無く影響するもんなんだよ。極端な話、お前が電子関係の仕事にそっぽ向いて、アイスクリームショップでも始めるようなもんだ。それも、機械無しの手作りのをだ。想像してみろ、お前の家族がどう動くか」
「それは…」
「いくらお前の家が身内に寛容でも、さすがに、反対の声の一つくらい出るだろう?」
「まぁ…えぇ…たぶん」
どうした、何か悩みでもあるのかと、兄達に始まり親に弟に、果ては親戚一同が出てきての会議になる気がする。
それくらい、畑違いの分野なのだろう。
歌舞伎の世界から、パイロットを志望すると言う事は。
「ってわけで、早々に諦めさせてやろうと思ったんだけどなぁ。あらーアクロバティックまでやっちゃってるよ」
右手で庇を作ってミハエルが、逆光を遮りながら、アルトの姿を追う。
初心者、の域を超えている。
去年まで、舞台照明だの伝統芸能だのを専門的に勉強していた人間とは思えない。
「…身軽なんですねぇ」
「幸か不幸かな」
パイロットとして必要な要素を持っていたとしても。
その道を選んだが最後、駒の一つでしかなくなるのだ。
「やっぱり反対ですか?」
「もちろん。俺は反対し続けるぞ」
「…喧嘩は嫌ですよ」
この『先輩』の言葉は、時にとても容赦が無い。
厳しいのだ、とても。
普段、飄々としては居るから、そんな人なのだと認識してしまいがちだが、その実とても厳しい人である。
「表立ってはしないさ」
そう告げるミハエルの言葉を、ルカはいまいち信用のならない気分で見やった。
結局、ルカの杞憂はそのままに、事あるごとにミハエルは、歌舞伎役者にパイロットには不向きだ、と言う旨の台詞を口にしては、アルトと口論になると言うパターンを繰り返す事になる。
そんな風に何のかんのとアルトに絡むミハエルが、結局アルトと一緒に居る事が多くなり、それからルカもなし崩しのように一緒に居るようになり、それにナナセが加わり、となるのに掛かった時間は一ヶ月程度。
そして、その穏やかに続くであろうと思われた日々が崩れるのは、たった数ヶ月後の事になる。