嫉妬とプライド

美男美女が、学園の中庭で、笑顔で、それもかなり良い雰囲気で、談笑している。
遠くから見ると、そうとしか表現できない光景ではあるが、至近距離でひとたびその音声を耳に入れれば、百年の恋もいっぺんに冷めると言うものだ。
「ちょっと、ミシェル、その嘘くさい笑顔やめてよね。気味が悪いわ」
そこにカメラマンが待機しているのかと思う程に、完璧な微笑みを湛えながらオソロシイ事をシェリルが言えば、ミハエルもミハエルで女性を口説く時専用のデフォルトされたような笑みのまま言う。
「歌姫を独り占めしてたら、俺のか弱い姫が、ムサ苦しい野郎共に恨まれるんでね。適当にこっちにもなびいてるフリしといてよ。得意だろ?笑顔の安売り」
シェリルがアルトを構い倒していると、あらぬやっかみが生じるのは事実だ。
アルトがシェリルと付き合っているだとか、そんな噂もちらほら流れても居る。
無論、普段のアルトの振り回されっぷりを目にしている同じクラスの連中は、それは無いあり得ない、と言って一様に首を横に振るのだろうが、生憎とほとんど接触の無い連中からして見れば、シェリル=ノームと一番親しげなアルトの姿に、その噂を否定できないのが現状だ。
くだらない揉め事など起こりはしないだろうが、『早乙女アルト』にマスコミが食い付いて来ないとも言えない。
「生憎と私の笑顔は、商業的価値があるの。安売りするようなものなんて持ち合わせて無いわ」
「そう。自分の価値が分かってるなら話は早い。マスコミが姫に食い付くような状況だけにはしないで欲しいな。適度な距離を保って、節度あるお付き合いを心がけてくれないと」
「そんな上手い事言って、アタシからアルトを引き離そうとしたって、駄目よ」
傲然と言い放つシェリルに、やや気おされた風情で見守っていたランカたちだが、突如振り返ったシェリルが、がっしとランカの首に腕を回した。
「ねぇ、ランカ。あなたもそう思うでしょ?」
「え?えぇ!?」
「こんな外見だけの眼鏡男にアルトを独り占めされちゃうのよ」
「こ、困る!だめ!」
ランカは、編入と言う形でこの美星学園へとやって来たが、それ以前の様子からしても、アルトとミハエルは仲が良い。
お互い同じ学科でもあるし、年齢も同じ。
おまけに首席と次席と言う関係上、何かと一緒に過ごす時間も多く、寮も一緒。
加えて、最近知った話ではSMSでも同じ小隊に属しているのだ。
ルカも勿論二人と仲は良いが、アルトとミハエルの対等な物言いとは、ほんの少しだけ立ち位置が違うように思える。
それでなくても『男の子』な会話には、女子校通いだった自分には、なかなか入り込めて居ないのだ。
これ以上、ミハエルがアルトを独り占めしてしまったら、大変である。
シェリルの言葉に一も二も無く飛びついたランカに、ミハエルがずいと顔を寄せる。
「ランカちゃん、それは俺が顔だけの眼鏡男って肯定してるって事かな?」
「えぇぇぇ!?」
そんな所から切り返されるとは思わず、ランカが悲鳴を上げる。
爽やかな笑みを浮かべつつ、顔を寄せるミハエルに、ランカは既に逃げ腰だ。
勿論、シェリルに首をがっちりとホールドされているので、ランカには端から逃げ場は無い。
日常生活では免疫の無い美形二人に挟まれて、詰め寄られて、ランカの許容量は色々と限界だ。
「ちょっ、ランカさんに何してるんですか!」
そんな一声と共に、ランカに接近しているミハエルを、ナナセがぐいーっと押しやった。
ついでにランカに引っ付いたままだったシェリルも引き剥がし、親友をぎゅっと己の腕の中に抱き寄せる。
麗しい友情の構図だ。
色々と邪な目線も含めれば、文句なしの構図でもある。
「酷いなナナセ。何もしてないだろ」
「そうよ。」
「あなた達の争いにランカさんを巻き込まないで下さい!」
まるで、どこかの三流ドラマのような台詞だが、偉い剣幕のナナセに、二人が揃ってあらぬ方向へと視線を逸らす。
決着点の無さそうな不毛な会話に、ランカを巻き込んだ自覚はあるようだ。
「全くもう…!」
「な、ナナちゃん、私は別に」
「ダメです!ミシェル君とシェリルさんなんか、甘やかさなくったっていいんです!」
揃って『なんか』と切って捨てられた二人ではあるが、別段、そんな事は気にも留めてないのか、さて次はどうするかと、視線を交わしあっている。
傍から見れば4角関係のようだが、どうにも収まりが悪い。
傍観者であるルカからして見れば、ランカと今の自分の状況と変わってほしい所である。
「何やってんだお前ら」
「アルト」
「姫」
「早乙女君」
「アルト君!」
「先輩ー」
悪魔の如き声音が2名。
困惑気味な声が1名。
微妙に泣きの入っている声が2つ。
それぞれの口調で呼ばれた己が名に、アルトが怪訝そうな視線を、さらに怪訝なものへと変える。
喧嘩をしていた、様相とも言えなくも無いが、それにしては微妙な空気だ。
ナナセがランカを抱きしめている、と言う光景は、ランカが転校して来てから以降、別に珍しくも無いものなので、そのままにしておく。
問題は、互いに挑みあうような視線を交わしているシェリルとミハエルだ。
「喧嘩…か?」
「違うわ。ちょっとした話し合いよ」
「そう。今後のお互いのスタンスについて」
「…へぇ」
どことなく胡散臭そうに、アルトがシェリル達から微妙な間合いを保つ位置で足を止める。
「アルトも入る?」
「…遠慮す」
る、と言いかけたアルトの腕を掴んで、シェリルがえいや、とアルトを引っ張り込んだ。
「うわっ」
よろけたアルトの背中を、すかさずミハエルが支える。
「おっと危ない」
「悪…いっ!?」
途中で声を跳ね上げたアルトに、何事かと視線を向ければ、ミハエルが背後からアルトを抱きしめていた。
「お、おまっ!?な、何を!?」
混乱しているのか、しどろもどろなアルトに、ミハエルはふくふくとした笑みを湛えながら言う。
「ナナセの真似」
「!?」
「ちょっと!ずるいわよ!」
言うや否や、シェリルがアルトに抱きついた。
否。そう言う色気のある表現では無く、自分の好きなおもちゃを取られたので、取り返す、と言った構図か。
それでもその行動に、あらぬ方向から、悲鳴やら絶叫やら罵声が聞こえてくる。
「ら、ランカさん!いいんですかアレ!?」
「だ、だめ!」
何が良いのか、そして一体、何がダメなのか。
アルトが突っ込む暇も無く、僅かな隙間を縫うように、真横からランカがタックルよろしく腰の辺りにしがみついた。
「何なんだお前らは…」
背後と正面から抱きつかれ、真横からランカにしがみつかれ、アルトが遠い目をしている。
普段なら、怒鳴る所なのだろうが、あまりの展開について行けて居ないようだ。
ルカとしても、一体これは何の前衛劇だろうかと、やや頬を引き攣らせてしまう。
ナナセの、ランカさん頑張って下さい、と言う応援が、激しく間違って居る気がしないでも無い。
「ちょっとミハエル、あんた邪魔よ!」
「そっちこそ、その腕どけて欲しいな。おっとランカちゃんも、その腕、邪魔だよ」
「じゃ、邪魔じゃないもん!ミシェル君の方が邪魔だもん!」
ミハエルの口調こそ軽いものの、目はそれなりに真剣だ。
そんなミハエルに負けじと言い返すランカに、ルカが内心拍手する。
ミハエル=ブランと言う『色男』が『本気』になって手に入れた存在は、ルカの知る限りアルトだけだ。
普段は方々へと散らしている秋波のせいで分かりにくいが、ことアルトに関しては、非常に嫉妬深い。
気づいていないのは、当事者のアルトだけだ。
と言うよりも、ミハエルがアルトに気づかせていないだけなのだろう。
現状からしても、アルトに張り付いているシェリルとランカがもし男だったならば、即座に蹴り飛ばされているのは間違い無い。
「…もういいだろ。お前ら離れろっ!」
そろそろ色々と限界だったアルトが怒鳴れば、ミハエルたちが揃って手を離す。
まったく、と言いながら、アルトが皺の寄った制服のシャツを引っ張っている。
「もう、アルト、照れなくて良いのに…」
「あ・の・な!」
噛み付くように怒鳴るアルトに、シェリルがふふと笑って、アルトの鼻の頭をつつく。
「照れ屋さんなんだから」
「誰がだ!だいたい何なんだ、さっきのは!」
「…何だったかしら?ミシェル」
「さぁ、何だったかな?ね、ランカちゃん」
「…!!」
会話を回されたランカが、髪をぶわりと浮かせて、今更ながらに赤面している。
「ランカ?」
「ああああああのね!あのっ!その…っ!」
「?」
怪訝そうに首を傾げるアルトに、ランカはますます顔を赤くしてうつむいてしまった。
ランカには、アルトの占有権を争っていた、などと言う内容の言葉を口に出来る筈もない。
「ま、姫と仲良くしよう、って話だよ」
ミハエルの助け舟にもならないような発言に、ランカが混乱のままにこくこくと頷いている。
案の定、アルトは不審そうにミハエルを睨む。
「…お前、また何か妙なことを考えているだろう。怪しいって顔に書いてある」
「俺が?俺ほど姫に正直な男はいないと思うけど?」
「そこからして嘘だろうが」
即答で切り返すアルトに、シェリルがけらけらと笑う。
「信用ないわね、ミシェル」
「おかしいなぁ。」
そう言いつつ、するりと周囲に目を向けたミハエルが、思いの外に多いギャラリーに、ため息をついて見せた。
「ちょっと人が集まり過ぎたし、移動しようか」
「そうね。」
シェリルとて、いくら普段から人に『見られる』立場であろうとも、限度と言うものがある。
学生ばかりと心得ては居るが、不用意な情報が外へ流れ出ても、面倒だ。
ミハエルの提案に頷き、ばさりと肩に掛かった髪を後ろへと払った。
「戻りましょう」
率先して踵を返すシェリルに、一先ずアルトと距離を取りたいのか、ランカがナナセの手を引いてついて行く。
その後に続くかと思ったミハエルが、アルトの肩をぽんと叩いて、獰猛な笑みを浮かべた。
「仕方が無いから、俺がどれだけ正直か、後で姫にじっくりと証明してやるよ」
幸いにしてその発言を耳にしたのは、言われたアルト当人と、ルカだけだ。
言葉も無いのか、呆然と立ちすくむアルトを置き去りに、ミハエルは先を歩き出している。
「………ルカ」
「は、はい!」
「俺、何かしたか!?」
「いえ!」
「じゃあアレ何だ!?何なんだ!?」
「えーと……何でしょう?」
がくがくと肩を揺さぶって詰め寄るアルトの顔は、半泣きだ。
ルカだって泣きたい。何が悲しくて、この複雑そうな多角関係に巻き込まれねばならぬのか。
だが、それでもアルトをこの先待ち受ける不幸を思えば、まだマシなのかも知れない。
人は自分より不幸な者を見ると安心すると言うが、今がまさにその心境だ。
「…逃げよう」
「逃げたら追いかけて来るんじゃないでしょうか」
「お前、どっちの味方なんだ」
「基本アルト先輩です。逃げたら、倍になると言うか…ミシェル先輩が有利になる更なる口実を与えるだけと言うか…」
何か思い至ったのか、アルトががっくりと首をうな垂れる。
何か、あったのだろう。確実に。絶対に。
「アルト、何してるの!早く来なさい!」
「…良い声ですね」
「声だけはな。台詞の中身は最悪だ」
銀河の妖精の無慈悲な召集に、アルトが観念したように歩き出した。
ルカもその後に続きながら、結局ミハエルが一人得をするだけのような結果に、もう一度、深くため息を零した。