恋はほどほどにね

「ミシェル先輩」
「んー?」
「シェリルさんってどうして、アルト先輩を好きになったんでしょうね」
「そー言うのは俺に聞かれてもなぁ。だいたい何でまたそんな事に興味持ったんだ?お前、あんまり人の色恋には、首突っ込まないタイプだろ?」
野次馬根性を嫌う、と言うよりも、どこか潔癖な所のあるルカは、人の恋愛事情にはあまり食指を動かさない。
当人が己の恋心で手一杯な所もある。
「いや…何で、って言うか…アルト先輩って、恋愛は下手そうだし、気の利いた台詞なんか言えなさそうだし。いや根本的には良い人だし、何のかんのと優しいですし、気遣いも出来る人ですけど、でもあんな恋愛にも慣れてて、自由奔放なシェリルさんの相手にしては、何て言うか…」
言葉をごまかすように語尾を濁らせたルカに、ミハエルは口の端に笑みを引っ掛けながら言う。
「不釣合い?」
「…だと、思ったんです。その…僕たち、と言うか、一般人が一方的にシェリルさんに恋するのとは、事情が違うと言うか」
一学生が芸能人に憧れて恋心を抱く事と、経験も場慣れもし恋愛事情を商売にすら出来る歌姫が―一般人と言い切るには微妙だが―一学生に恋をする事は、大いに意味が異なって来るのだ。
一学生つまりアルトは、シェリルを女友達と位置づけているが、シェリルは間違いなくアルトを好きだ。それも、相当な割合で。
「シェリルがアルトに惹かれたのは、歌姫じゃないシェリル=ノームを、アルトが見ているからだろ」
「…?」
「例えば、シェリル=ノームが音楽活動からすっぱり手を引く。いやこの場合、歌えなくなる、でも良いな。そんな時、世間は彼女をどう見る?歌えもしない彼女の価値は何処に行く?」
「……」
歌姫シェリル=ノーム。
だからこそ、彼女は特別であり、特異なのだ。
「アルトは、シェリル=ノームと言うものを見てはいるが、それ以外の付属物にはさして興味は無い。彼女が歌おうとも、歌わなくとも、アルトが接するシェリル=ノームの位置付けは変わらない」
歌姫なんて、アルトにとっては、どうでも良い称号なのだろう。
偉そうにふんぞり返ってアルトを引っ張りまわしている女王様がその瞬間に歌手じゃなくなったとしても、アルトは偉そうにふんぞり返る女王様に相変わらず文句を言いつつ、仕方が無いなと引っ張りまわされるのだ。
「アルトは、知ってるんだよ。……あいつは、早乙女嵐蔵の跡取りの地位を蹴った時に、散々、自己否定されたからな」
「あ…」
後付の情報で、色々とルカ自身もアルトの事を調べたのだ。
頑なに家の事を口にしたがらないアルトに対する興味本位、と言うわけでは無く、迂闊なことを自分が口走らないようにと言う意味合いをこめて。
「舞台に立つ早乙女アルトにこそ価値を見出しても、それ以外の存在であろうとする早乙女アルトには、皆、冷たかっただろ?」
どうして、なぜ。
恵まれたその地位を、簡単に捨て去るのか。
そんなお前など必要は無いと、父にすら断じられたアルトは、知って居るのだ。
ただの子供として、世間に受け入れられては貰えないその苦痛を。
ただ十数年生きただけの子供として、認めて貰えない苦しさを。
何がどう違うわけでは無いと言うのに、ほんの少しの才能が、彼らの本当の姿を曝け出す事を許しはしないのだ。
だからアルトは、シェリル=ノームが無茶苦茶な事をしても、シェリルのくせにそんな事をするな、などとは言わない。
腹が立てば本気で怒鳴っているし、口喧嘩などしょっちゅうだ。
皆が気後れして、シェリル=ノームに接する中で、アルトだけがシェリルを対等に扱う。
そんな事は誰にでも出来るわけでは無い。
「アルトは、シェリル=ノームを同じ年の女の子として見てる。最初っからな……そんなわけで、フィルタの掛かってない真っ直ぐな目に撃たれたシェリルは、アルトに惹かれてるんだろ」
結論を出したミハエルに、ルカが静かに言う。
「冷静、ですね」
「そうでも無い。まさか、あんな大物が引っかかるとは予想外も良い所だ」
ルカの言ったように、アルトは基本的に人が良いのだ。
言動がぶっきらぼうなだけに、初対面では誤解されがちだが、ある程度、人となりが分かれば皆、アルトを構いだすようになる。
そうして、アルトに静かな好意を向ける者は多いのだ。
今回のように、それはあからさまな行動に出たシェリルの存在は、だからミハエルにとっては脅威でもある。
アルトの性格を知っているからこそ、皆、大げさに騒いだりはしなかったのだが、シェリル=ノームは全く持って自分のペースもスタンスも崩さずにアルトを篭絡しにかかっているのだ。
「その割には協力的じゃないですか?」
シェリルは勿論のことだが、ミハエルはランカの事も、放置している。
むしろどちらに対しても、協力的ですらあるように見える。
「アルトの成長には必要な事だし、職務上で俺が妨害なんて出来ようも無い事もあるし、まぁ結果的になるようになるのを見るしか無いって状況だからな」
「……物分りの良いミシェル先輩って不気味ですね」
「人の顔をみながらしみじみと呟く感想かよ」
「え?うわっ…す、すみません!」
慌てて謝るルカの頭を小突きながら、ミハエルが笑う。
「でも、アルト先輩って、確かに『情報』で人を扱いませんよね。僕の家の事知った時も、へぇすげーな、で終わりでしたし」
「お前がどこまで、L.A.I.に食い込んでるかも知らないしな」
ルカがL.A.I.でどの地位に居るのかは、あまり大っぴらには語られて居ない事だ。
同族企業であるL.A.I.は、家族の絆も強いらしく、家族仲の良さはインタビューなどで伺えはするが、いっそ見事なまでに未成年者であるルカ達の情報は伏せられている。
表立つ事も無いように、押さえ込んですら居る。
ルカの実家の事は知っていても、ルカがどこまでL.A.I.に関しての意見を通せるかまでを知る者は、限られている。
「それでも、普通はもっと凄いんですよ。うちの事を知ったら、就職先のコネだとか、兄達と会わせてくれとか…そう言うのを口にしなくても、打算で僕に近づく人も居ましたし」
うんざりしたような口調で語るルカに、ミハエルが喉を鳴らして笑う。
「アルトにゃ縁の無い発想だな」
「ですね」
ルカは、短く息をついて、それから笑みを浮かべて言う。
「だから、僕はアルト先輩が、幸せになってくれれば良いなって思うんです」
「偉くぶっ飛んだ上に、抽象的な話だな」
「だって、何がどう幸せなのか、僕には判断できませんし。ただ、アルト先輩が幸せだなって思えるようになればいいなって思うんです」
あなたの幸せを願っている。
そんな内容のことを言っている自覚は無いのだろうが、聞いている側としては突っ込まねばならぬ所だろう。
「お前、プロポーズみたいだぞ、それ」
「え!?ち、違いますよ!僕のプロポーズは…!」
「プロポーズは?」
鸚鵡返しに訊ねるミハエルに、はっと我に返ったルカが叫ぶ。
「…って何でミシェル先輩に言わなきゃならないんですか!」
それは少なからず、プロポーズの言葉を考えて居ると言う事で。
ミハエルは、ルカをまじまじと見やって、その頭をがしがしとかき混ぜてやる。
「いやー恋する青年はかわいいね」
「かわいいって言わないで下さい!」
「いやいや。かわいいなー」
「ミシェル先輩だって恋する青年のくせに!僕がかわいいんだったら、先輩だってかわいいんですよ!」
「よし、やっぱりルカはかわいくない後輩に格下げだ」
頭を撫でていた手で、ルカの頭を鷲掴んでミハエルがさわやかな笑顔を浮かべた。
ぐぐぐ、と五指に力がこもり、ルカが痛いなー痛いよー痛いんですけどー、とささやかな抗議の声を上げてみるが、ミハエルは嘘くさい笑みを貼り付けたまま、どこ吹く風だ。
「何やってんだお前ら」
格納庫へとやって来たアルトが、その妙な光景を見やって、盛大に訝しげな表情を浮かべて二人を見下ろす。
頭をがっしと掴まれているルカと、そのルカの頭を掴んでいるミハエルと。
全くもって状況の読めない光景だ。
そんなアルトに向かって、ミハエルがデフォルトされたような笑顔を浮かべて言う。
「後輩とのコミュニケーションだ」
とてもそうは見えないのだが、こう言う顔の時は関わらないのが一番だ。
経験則である。
「…へぇ。そっか。」
そのままくるりと踵を返しかけたアルトに、ルカが猛然と食いつく。
「ちょっ、アルト先輩。納得してないで助けて下さい!これ、おかしいって思うでしょう!?」
「いや、何か楽しそうだし…」
微妙に視線を逸らしてそんな事を言うアルトに、ルカが必死に食い下がる。
「楽しくないです!追い詰められてます!こういう時は積極的に関わって下さい!」
「こらこらルカ。姫を口説いたらダメだろ?」
微妙に力加減が強くなった。痛さも増大である。
「口説いてません!何をどう聞いたらそうなるんですか!?」
「積極的に関われとか言われると、俺としては、危機感を抱いてだな」
「僕なんかに危機感とか抱かないで、その他2名に抱いて下さい!」
誰と誰、とはアルトの手前明言はせずに言うルカに、ミハエルは笑う。
「その他二名は、いざともなれば全力で排除だ。でもお前はかわいい後輩だから、敵になってくれるなよ」
「だから、なりませんて!」
かみ合ってないのか、かみ合ってるのか、よく分からない会話を展開してる二人に、アルトは軽く肩をすくめると、自分のVF-25の元へと向かった。
「アルト先輩!見捨てるんですか!?」
追いすがるようにかかるルカの声に、アルトは芝居がかった敬礼一つして言う。
「何だかよく分からんが、ルカ、頑張れ」
「そんな応援は要りませんって!」
「ルカ、俺の姫に縋るのはダメだぞ」
「誰がいつお前のものになったんだ!?」
「いつって、雨の降って…」
「馬鹿か!何言う気だお前!?」
「そういう痴話喧嘩に僕を巻き込まないで下さい!」
「痴話喧嘩!?」
「ルカ、違うだろ。これは夫婦喧嘩って言うんだ」
「えぇ!?」
「何言ってんだお前は!?」
ぎゃぁぎゃぁと喚いている若造を横目に、ドンデンガンガンと、格納庫は今日も忙しない機械音が轟いている。
別に若造達のくだらない会話をかき消すため、では無い筈だと、黙々と作業をする整備班一同は己に言い聞かせていた。