酒と海、溺れた人間はどちらが多いのか

血気盛んな連中が集う場所と言うのは、必然的に限られて来るのは、いくら時代が変ろうとも、環境が変ろうとも同じものなのかも知れない。
宅地整備がなされ、整然と建造物が並んでいるようで、フロンティアには雑多な建物が立ち並ぶ一画も存在する。
だいたいそんな場所は、子供時分には絶対に近づいてはいけないと、それは親や教師などから口うるさく教えられ、縁がなければ足を向ける事もしない。
アルトにとっても、そう言う一画であった場所は、けれどS.M.Sでは、足しげく通う場所であるらしく、入隊記念だの初撃墜記念だの何だのとかこつけて呑みたい隊員たちに引きずられるようにして、連れ込まれる場所になっていた。
勿論、目的地はこの雑多な町に点在する居酒屋だ。
何軒かS.M.Sの皆が好む店があるようで、だいたいそう言う店では、騒ごうが喚こうが暴れようが、支払いさえきっちりするのならば、店長も店員も何も言わない。
たまに酔客を放り出すのに拳が飛んでいることもあるが、そこは無礼講と言った所だろう。
そんな調子で、目的も不明なままに早々に始まった飲み会は、開始1時間で既に半数を酔っ払いへと変身させていた。
基本的に酒に強い者が多いが、さして強くない者も居る。
上官に向かって『お前はダメなやつだ!』などと管を巻いている部下に、『もっと言え!』と無責任にはやし立てる声が上がりもする。
この立場も何も関係の無い、単純な『呑んで騒ぐ』と言う空気を、アルトは意外に嫌いで無い自分に気づく。
「姫、酒がぜんぜん減って無いじゃないか!ほら呑め!」
呑め、と言われて素直に呑めば、えらい目に合うのはわかりきって居る。
アルトが引きつった笑みを浮かべる横から、ミハエルが助け舟を出す。
「大尉、俺達、未成年ですって」
「かってぇなぁ!少佐!」
バシバシと肩を叩きながら、話を聞く気など毛頭無いのか、ミハエルのグラスにはダバダバと酒が注がれる。
濃い酒の匂いに、度数が相当あるのは分かる。
元々入っている酒も、別に薄いものでは無い、
混ぜるな危険。
そんなどこかで見たような文言が、脳裏を過ぎる。
おそらくそれはミハエルも同じだったのか、幾分、引きつった顔をしている。
「おら、飲め!」
「いや、あのですね…」
「何だぁ?俺の酒が呑めないのか!?」
完璧な酔っ払いの常套句を口にする大尉に、ミハエルが観念しかけた所で、アルトがミハエルの前のグラスを大尉に差し出す。
「大尉。俺、大尉が酒豪って聞いてて楽しみにしてたんですよ。これくらいの量、いけますよね?」
接待には、何のかんのと慣れている。
年始には必ず師匠や他の一門の家に挨拶周りにも行き、そこで杯を交わすのは茶飯事だった。
主に『弟子』の立場の自分は、接待する役回りでもあったのだ。
酔っ払い相手のあしらい方も、そこそこ、慣れているつもりだ。
「お、そうか。じゃあ姫の為に、呑むとするか!」
豪快に笑って、大尉がグラスを一気に空にする。
「さすが大尉!」
ミハエルが嘘くさい声援を送れば、それで満足したのか、大尉がまた笑って、意味無くバシバシミハエルの肩を叩き、空いたグラスに酒を注ごうとするものの、手に持った酒瓶が空なのに気づき、ふらふらとカウンターへと歩いていく。
一先ず、ミハエルとアルトは揃って安堵の息をつく。
「姫。それ以上は飲むなよ」
「分かってるって」
こそりと囁くミハエルに、アルトも小さく返す。
別に酒の一杯で酔いつぶれたりはしない。ある意味、自分の方が余程に酒にはなれて居るのでは無いかと思うのだ。
元の家業では行事ごとに酒が出るのは当たり前で、子供の頃から杯一杯程度なら、決まりごとだからと言って口にしていた気がする。
それでも、この連中の底なしの酒量に付き合っていてはキリが無い。
学生。未成年。
その建前を利用して、この騒動から逃れるのが賢い方法だろう。
酒席に連行されるのは仕方が無いとしても、最後まで付き合う必要は無い。
『お前らは一応、学生なんだから、適当なところで抜け出して来い』と言うオズマの忠告に従い、アルトがそろそろかとミハエルと視線を交わす。
テーブルを離れるべく足を踏み出した所で、横のテーブルから同じく立ち上がった男と、ぶつかりかけた。
自分よりも身長が高いのか、目線を上げれば、既にして酔って居る風情の、男の目と視線がかち合う。
「あぁ?お前、S.M.Sかぁ?」
制服のジャケットには、S.M.Sのロゴが入っており、知っている者ならば、一発で身分がばれる。
「…そう、だが」
「階級は?」
「准尉だ」
「こぉんなガキがねぇ?いっちょ前に、VFに乗ってるって?ったく、お遊びじゃねぇんだぞ」
「言ってやるなよ。所詮、民間部隊なんて、そんなもんだ!」
揶揄するような声に、隣のテーブルから賛同の声と、笑い声が続く。
馬鹿にされた、のは分かった。
アルトが何か反論するよりも先に、話を聞いていたのか、既にして酒の回っているS.M.Sの隊員が、アルトを押しのけるように怒鳴り返した。
「あぁ!?んだと!?」
「機械頼みの新統合軍が、どんだけのもんだって!?」
その台詞で自分に絡んできている連中が、新統合軍の兵士達だと、ようやくのように気づく。
と言うよりも、これだけ酔って居るくせに、相手の職業によく気づいたと褒めるべきなのか。
「戦争屋が!」
唾棄するような台詞に混じるのは、S.M.Sそのものを見下した意識だ。
「んだとぉっ!」
「てめぇらが弱ぇから、俺らが出向いてやってんだろうが!」
怒鳴り返すS.M.Sの面々に、負けじと新統合軍からも怒号が返される。
「仕事も無い私設部隊様に仕事回してやってんだよ!」
「はん!みすみす、敵に攻め込まれた癖に負け惜しみもたいがいにしろよ!」
「んなガキ共まで駆りださなきゃならん分際で、何を偉そうに!」
その台詞に何を思ったのは、新統合軍の男が不意に、アルトを品定めするように、頭のてっぺんからつま先までを見下ろした。
「それとも、そっちのお嬢ちゃんは、お前らん所の『お人形』か?」
その不躾な言葉の意味を、アルトは理解できない。
怪訝な顔をするアルトを、別の男がにやにやと笑いながら見下ろす。
「確かになぁ。この顔だ、そっちがお仕事か?准尉殿?」
ぐい、とアルトの顎を掴んだ手を、ミハエルが叩き落とした。
「何しやがるっ!」
「汚い手で、姫に触るな」
「はっ!『姫』ね!そー言う事だって認めるわけか!?」
「語彙力は壊滅なくせに、想像力だけは逞しいな。何でもかんでも、そっちに繋げて、新統合軍ってのはよっぽど飢えてるらしい。ま、その顔じゃ無理も無いだろう。かわいそうに、お陰で発想も貧困だ」
ずらずらっと言葉を並べ立てる、ミハエルのあからさまな挑発に、新統合軍の男が切れる。
「このガキッ!」
振り上げられた拳よりも先に、隊員の誰かが、殴りかかっていた。
「うちの姫さんを、侮辱すんなよっ!」
ばきぃっと言う鈍い音と共に、男が吹っ飛ぶ。
「……っんのやろぉ!」
ぐいと、切れた唇をぬぐいながら立ち上がった男に合わせるように、誰とも無しに怒声が上がる。
「やっちまえっ!」
「S.M.Sの意地、見せてやれっ!」


始まった乱闘の隙をつくように、ミハエルに腕を引かれるまま、アルトは店の外へと退避する。
どこの店も似たようなものなのか、外に出ても騒々しさはあまり変わり無い。
さすがに、今しがた出てきた店の騒動は、別格ではあるが。
「あーあー」
「『あーあー』じゃないだろ。良いのか?」
間違いなく切欠は、ミハエルのダメ押しのような挑発だ。他人事のように語るミハエルに、アルトが眉を顰めている。
「良いさ。好きに暴れて、気が済んだら終わるだろ」
「おいおい…」
「これが表沙汰になったら連中も困るだろうしな。適当に殴りあいでもしたら、引き上げるって。」
「そうかぁ?」
どんがらがっしゃん、と言うお約束のような破壊音と、怒声が飛び交って居る。
5分やそこらで片がつきそうにも無い。
両者とも、所属は違えど肉体が資本の軍隊なのだから、当たり前と言えば当たり前なのかも知れない。
落ち着かないアルトとは対照的に、聞こえる怒声に笑う余裕すらあるミハエルが、ふと思い出したようにアルトを見やった。
「しかし、お前、本当に純粋に育てられてんなぁ」
「は?」
「意味分かってなかっただろ?」
「…人形、だとか、の事か?」
己に向けられた言葉を繰り返すアルトに、ミハエルが頷く。
「そうそう」
「どう言う意味だ?」
「下品な意味。」
「……おい」
その程度の事は、アルトにもわかって居る。知りたいのは、意味だ。
睨むアルトに、けれどミハエルはそれ以上の説明をしてやる気は無かった。
知った所で不愉快になるだけであり、知らなかったとしても困る事では無い。
「まぁ、そのうち分かるからさ。知らなくても大丈夫大丈夫」
「…そのうちって、いつだよ」
「人それぞれじゃないか?ま、皆が、大事な新人を馬鹿にされたって事で、怒ったのは事実。良かったじゃないか姫、皆に大切にされてるぞ」
「…」
落とし所が微妙なミハエルの台詞に、アルトが胡乱げな視線を向ける。
そんなアルトの視線を平然と受け止めて、ミハエルがくいと眼鏡を押し上げた。
「外出て暴れだしても面倒だし、未成年は、とっとと退散するぞ」
「本当に放っといて良いのか?」
「あっちは良い大人なんだから大丈夫だって。むしろ、俺たちが見つかった場合の方が面倒だし」
「まぁ、そうだけどな」
学生と言う身分は勿論、未成年者と言う身分は、色々と制約が多いのだ。
「ほら、姫。帰るぞ。明日も朝から授業あるんだし」
「…妙に現実感があるな」
「貴重な日常だ」
「まぁな」
出動要請がかかれば、学業など無視して駆け出さねばならない。
そして、ひとたび飛び立てば、必ず此処に戻ってこれると言う保障は無い。
日常は、既に非日常と隣り合わせの状況なのだ。
当たり前のように出来ていた事は、もう当たり前の事では無くなっている。
「ひめ、ひーめ、姫!」
「あ?」
「『あ?』じゃないって。ほら、出てきた!行くぞ」
ほら、と言った先、乱闘の延長そのままに外に転がり出てきた、隊の仲間と新統合軍の面々に、アルトがげ、と頬を引きつらせると同時に、ミハエルがアルトの手を掴んで走り出す。
その腕に引かれるままに、アルトも無言で足を動かす。
振りほどく事が出来た手を、振りほどかなかったのも。
離した所で問題の無かった手を、離さなかったのも。
酔っていたからだと。
互いに、そう都合の良い理由をつけて、夜の街を二人は無言のまま走りぬけた。