恋愛中毒者

アルトとシェリル=ノームがガリア4へと飛び立ってしまえば、人心地ついたかのような倦怠感がS.M.Sの格納庫に漂っていた。
時刻は既に22時を刻もうかと言う頃合ではあるが、何のかんのと人の出入りもあれば、未だ作業中の者も居る。
無論、交代制での業務もあるのだから、朝昼晩などと言う区分は、この場所には正確には存在しない。
カタカタとキィボードを叩いていた手を止めて、ルカがVF−25の収まっていたスペースを見やって、ふぅっとため息を零した。
「学校の皆が知ったら、アルト先輩、今度こそ闇討ちに会いますよね…」
「女王様の人気は凄いからなぁ」
高嶺の花であり、下手をすれば一生出会えもしなかった歌姫が、学校内を制服を着て闊歩しているのだ。
生徒の多くは彼女を崇め奉り、近づきたいけれど近づけない、と言うような微妙な緊張感を保って遠巻きに行動しているのだが、その女王様と何かと接触の多いアルトをやっかんでいる者が多いのも事実だ。
アルト自身が、非常にうっとうしそうなのが、彼らの溜飲を下げているのか、上げているのかが微妙な所だ。
心情的には、そんなに嫌なら俺と立場を代われ!と言った辺りか。
それでも、彼らが大きな行動には出ずに黙っているのは、それがあくまで学内の事だと思っているからだ。
S.M.Sの一員として、しょっちゅう一緒に居ると知ったら、どうなるか分かったものでは無い。
ほとんど、と言うか、今回のガリア4行きも込みで、全部が相手側から指名された形での人選ではあるのだが、そんな事情は部外者には知りようも無いのだ。
「でも、例えば僕が、どんなにシェリルさんのファンだったとしても、物凄く問題アリそうな第33海兵部隊の所にはちょっと…」
「ルカ!それ、本当か!?」
「え、えぇ。そ、そっ、そうですっよっ!」
がくがくとミハエルに肩を掴まれて揺さぶられながら、ルカが頷く。
「今回の慰問を要請して来たのは、第33海兵部隊です、けど……って、え?知らなかったんですかミシェル先輩?」
その返答を聞き終えた瞬間、ルカを乱暴に放り出して、ミハエルがガンっと踵で床を踏みつける。
シェリル=ノームが慰問公演に向かったのがガリア4だとは、聞いていた。
だが、慰問先に控えているのが第33海兵部隊だとまでは聞いて居ない。あんな無法者の巣窟だと知っていたなら、アルトを何が何でも止めていた。
「冗談じゃない!くそっ!今から隊長に掛け合って来る!」
格納庫を飛び出しかけたミハエルを、マイクロン化したクランが腰に手を当てた仁王立ちの体勢で、遮った。
「無理に決まっておるだろ。無茶を言うなミシェル。だいたい、お主、本当に連中の事を知らなかったのか?」
クランの言葉に、ミハエルが猛然と怒鳴る。
「聞いて無い!」
「ふむ。お前があっさりと行かせたのは妙だとは思っていたが。てっきり知っているとばかり思っていたぞ」
「知っていたら止めるに決まってるだろ!姫の身が危ない…」
「…まず憂うべきは、お主のその思考回路だな」
クランが物凄くかわいそうな生き物を見たような目でミハエルを見つめる。
だがそんな視線に欠片も動じずに、ミハエルがやや視線を落としてきっぱりと言った。
「クラン。憂慮すべきは、アルトの貞操だ」
「貞操も何も、お主が既にして無体な真似を強いているでは無いか」
「合意の上だ」
「その割にはアルトが、お主を恨めしげに見て居る事が多々あるが」
「愛情の裏返しだろう」
それはもう何の迷いも無く返され、クランは幼馴染の頭の中を覗いてみたいと真剣に葛藤する。
幼馴染とは言え四六時中一緒にいたわけでは無いが、家族に等しき時間を共に過ごしたミハエルが、自分の理解できぬ方向へと奇怪な変化を遂げたのだから、一体その頭の中身がどう言う状況になっているのか、気になるのが当然と言うものだろう。
「…やはり、お主の思考を憂うべきだな。だいたい連中は、シェリル=ノーム目当てだ。アルトにどうこうは…」
クランの言葉を途中で遮るように、ミハエルが片手を挙げて見せる。
一先ず、それに口を噤んでしまうのは、クランがミハエルの幼馴染であるからかも知れない。
「クラン。アルトの顔をどう思う?」
「顔?…まぁ綺麗な造作はしているな」
外見の美醜で人を判断する性質は持ち合わせては居ないが、美しいものは美しいと判断する価値観は持ち合わせている。
それを鑑みて言うならば、早乙女アルトと言う新人パイロットは、、充分に鑑賞に堪え得る造作をしている。
「そうだ。あいつは美人なんだよ。お前だけじゃない、それが万人のあいつに向ける評価だ。あの顔があれば、連中にとったら、男だろうが女だろうが、どうでも良いに決まってるだろ!」
「…そう言う邪な目を持つのは、お主だけだろう」
クランは疲れた様子で、深くため息を零した。
全員が全員、ミハエルのような嗜好なわけでもなければ、そんな目でアルトを見る筈がない。
「俺が、普段からどれだけ苦労しているか、お前は知らないからだ」
「いや、別に知りたくなどない」
そんな良く分からない他人の色恋沙汰などには、欠片も関わりあいたくも無い。
「だったら、邪魔しないでくれ。姫を追いかけないと…」
「あのーミシェル先輩。アルト先輩を追いかけるのは、時間的にも無理がありますよ」
「そうだぞ。フォールド断層の事を、忘れ去っておるだろう」
「…」
「もう既にして時間差が生じてますし…」
「間に合わないな」
とどめの一撃よろしく告げるクランに、ミハエルがそれ以上の反論を諦めたのか、ふらりと歩き出す。
「せ、先輩!どこ行くんですか!?」
「寝る」
「お、おやすみなさい」
格納庫を後にするミハエルの背中は、何とも哀愁が漂っている。
一体、どんな最悪の想像をしているのだろうか。
「…とことん、冷静さを欠いておるな。やつらがマイクロン化してるとでも思ってるのか?軍事行動中だぞ。おまけに、己の存在を誇示する連中が好んでマイクロン化などするものか」
ごねてごねて人類に与するに至った連中だ。
はっきり言って、人類に好意など持って居ないと、判断すべきだろう。
そんな連中が人類に合わせたマイクロン化などする筈がないのだ。それが彼らのゼントラーディーとしてのプライドでもあるのだから。
必然的にアルトに不埒な真似など出来ようはずも無い。
「うーん、そう言うのも含めて、全部、忘れ去ってますよね」
「あやつのアルト馬鹿は何とかならんのか?」
「ならないんじゃ無いでしょうか」
「「………」」
どうしようも無い結論が出てしまい、クランとルカはほぼ同時に、深いため息を零した。
「ぼ、僕達も、もう寝ましょうか…」
「そうだな」
物凄く、精神的に疲れた。
肉体疲労なら、ぐっすりと夢も見ずに、と言った展開が期待できるが、この精神疲労の具合から行くと悪夢でも見そうな気配が漂っている。
「じゃあ、大尉。お休みなさい」
「あぁ。おやすみ」

非常にくだらない事項の為に、この時ルカは脳裏を過ぎったある機関の存在を意図的に伏せておいたのだが、その僅か一日後にはそれをあっさり暴露するに至るのは、また別の話だ。