地に落ちて天を思う

夕日が海面に照り返し、目に映る世界そのものを、金に近い色彩に染め上げる。
ここが、巨大な宇宙船の内部である事を日々自覚しているものなど、皆無だろう。
その程度に『自然』は、自然なのだ。
この世界と宇宙とを隔てる『壁』に敏感なのは、自分の知る限りアルトくらいなものである。
飛翔し続ければ、いずれぶつかる壁など無い空を飛びたいのだと、そんな事を語るアルトを、馬鹿だと夢見がちだと切って捨てる事もままならずに、その願いを叶えてやりたいと思った時点で、己の敗北は疾うに決していたのだ。
願いとは、祈りにも似ているのかも知れない。
真摯に語られるそれは、心の内をさらけ出すに等しく、あまりにも純粋だ。
だから皆、引き寄せられる。
自分も、彼女達も、皆。
近づく己を、目を眇めて迎えながら、シェリルが口を開いた。
「…意外だわ」
「何が?」
「てっきり初物かと思ったのに」
その揶揄めいた口調に、シェリルが何を言いたいのかを悟る。
シェリルのどこか挑発めいた口調の意味も。
「随分と古風な言葉だね」
「あら、なんて言えば満足?ファーストキスもまだなお坊ちゃんかと思ってたって?」
「思ってたんだろ?」
だからこそ、アルトにキスを仕掛けた。
不意打ちのようでありながら、あれは打算を多分に含んだものだ。
『女』の意地なのだろう。
例え、演技だとしても、ランカに先んじだれてはならぬと言う、惚れた女の意地だ。
「まぁ、ね。何て言うか、アナタとは180度違うタイプだもの」
同級生で同職の男2人。比較対象としてこれほど適任者も無い。アルトと自分は、あまりにも非対称だ。
外見も性格も、何もかもが。
「俺、そんなに浮ついて居るように見える?」
「浮ついていると言うか、地に足付けて触手伸ばしてるタイプ」
「…くく、正直だなぁ」
シェリルの忌憚無い評価にも、怒る要素は無く、むしろ笑いさえ沸き起こる。
こちらの様相に、シェリルはこの際どい言葉の応酬を、今暫し続ける事にしたのか、言葉を繋いだ。
「正直は人間の美徳でしょう?」
「カミサマが推奨する?」
「そうよ。嘘ついたらカミサマが罰を当てに来るんですって」
「じゃあ俺達に待つのは破滅の運命か」
互いに大嘘つきなのだと皮肉を返せば、シェリルが嫣然と微笑んだ。
嘘も欺瞞も織り込んで、人は今を生きている。
犠牲に目を瞑り、同胞の死を享受し、宇宙に飛び出した人類は、既にして正直さとは縁遠い生き物だ。
そんな次元での言葉の応酬では無いにしろ、自分達の共通項として、正直さなんてクソクラエ、と言った意思が根底にあるのは間違い無いのだろう。
カミサマがどれ程の自分の人生に役立ったと言うのか。
捧げた祈りが無意味である事は、随分と早くに悟った。
見てるだけで、罰しか与えないような神など、どうでも良い存在だ。
「あら、運命共同体だったのね私達。光栄よ、ミシェル」
「こちらこそ銀河の歌姫と相撃ちの運命なんて光栄だよ」
お互い、極上の笑顔でそんな言葉を交わす。
音声さえOFFの状態ならば、きっと誰もが称賛する完璧な写真にすらなっているのだろう。
互いにその自覚はある。
己の容姿の価値も生産性も理解して、それでも、二人ともがこの打算で楽に付き合える相手を選ばずに、別の相手を選んで居るのだ。
ややこしくて、融通も利かなさそうで、脆くて、不器用で。
それでも。
いっそ、呆れる程なまで純粋に、空に焦がれる青年を。
その真正直さが、自分とはあまりにも対照的だからこそ、惹かれる。
神様は、きっとアルトのような存在こそを、愛するのだろう。
苦しみを与え悲しみを与え、それでも変わらぬ願いを抱く、そんな生き物を。
神を厭い、神に厭われる自分達は、だからこそ、己が数多の望みを、何人にも譲る気は無いのだ。
「実力勝負よ」
「かかって来れば良いさ」
受けて立つと、余裕の笑みを返せば、シェリルも不適な笑みを浮かべる。
「覚悟してなさい」
長い髪を振り払い、ざっと踵を返してシェリルが砂浜を歩き出す。
その勇ましい背中を見送り、さて、と小さく口中で呟く。
宣戦布告までされた以上は、うかうかして居られない。
彼女の本気を、侮る気は無いのだ。実際、短期間でアルトの懐の内にもぐりこむ事に成功している。
アルトの隙をついて、キスまでしでかしてくれたのだ。
「消毒ってのは失礼だろうし、上書きって所かな」
沈み行く夕日を眺めながら、この後の算段を立てると、己もまた踵を返す。
この光景を、本物と認められずに嘆くアルトは、やはり神様が愛するに相応しい生き物なのかも知れない。