「不完全」それこそ人間が人間たりえる所以である

何度も何度も、その機体を見上げた。
そうして、そこにはもう己がつけた傷跡が無い事を確認して、安堵する。
己のしでかした事の痕跡が無い事に安堵しているわけでは無い。
今後の戦闘に響くような、そんな状況にならなかった事に、安堵しているのだ。
「少尉」
「…少佐とお呼びした方が?」
滅多に呼ばれぬ尉官での呼び方に、ミハエルは普段は隊長と呼んでいるオズマに、そう切り替えした。
とたん、物凄く気持ち悪いものでも見たかのように顔を歪めて、オズマが首を振る。
「冗談に決まってるだろう。お前に少佐なんて呼ばれたら、早死にしそうだ」
「よしてくださいよ。縁起でも無い」
オズマの返答にミハエルもまた、顔をゆがめた。
死を口にするのは、自分達にとっては、手痛いものが多すぎる。
口にした言葉が真実になる、などと言うアルトの祖先の文化にはあるらしいが、それに似たような話はミハエルもいくつか耳にした事があるのだ。
所謂、第六感めいたものの影響だとか、小難しい理屈で説明されているが、とにかく死に繋がるような話は、戦下の只中の自分達が戯れに口にすべき言葉では無い。
そんなミハエルの反応を、オズマは若いな、と内心のみで評する。
言葉一つに引きずられるようなものなど、あるはずが無いのだ。
あってはならぬのだ。
そんなものを、己や仲間の死の説明に使う気は無い。
死とは来るべき時に、訪れる。
不運、偶然、必然、運命。
あらゆる言葉を並べ立てた所で誰も納得など出来はしない理不尽さをそこに伴って、死は訪れる。
「縁起なんて、何処にも無い。俺達にあるのは運と度胸と腕だ。それだけだろ?」
「そう…ですね」
「で、今回は、お前達は非常に運が良かったわけだ」
「…今頃説教ですか?」
お前たち、と。
複数形のそれに、オズマが誰と己の事を引き合いに出しているのかなど、わからないわけが無い。
言われずとも、自分とアルトの間の誤射騒動は、それなりに問題であったのは理解している。
アルトの機体を撃ち抜きはしたものの、それが致命傷には至らなかった事と、その後の戦闘で己もアルトもいつものフォーメーションで無事、戦果を上げられたからこそ、始末書数枚と整備班への賄賂で手打ちに出来ただけの話だ。
「いや。一先ず、上手いこと収めた部下をねぎらっておこうかとな」
そう言ってオズマが人を食ったような笑みを浮かべる。
百戦錬磨の、死線も修羅場も、清濁併せ呑んで潜り抜けて生きて来た者のみが浮かべる、読めない笑みだ。
「それはどうも。」
「かわいくねぇなぁ」
「俺がかわいくてもどうしようも無いでしょう。これでも、少尉ですから。どうぞペーペーの新人をかわいがって下さい」
少なからず戦線は生き延びて来たつもりだ。
それなりに、上下関係にも、揉まれて来たつもりでもある。
今さら上司にかわいがられるような、初々しさなど、残って居るとは思いたくない。
「そのペーペーの新人かわいがろうにも、どっかの誰かさんが威嚇してるんで近づけないってので有名だぞ」
「何の事でしょう。俺は自分のものを大切にしてるだけですが」
「時にはぶん殴ってか?」
「そうです。俺だって人の子ですから、腹が立てば拳くらい出ます。軍人ですしね、この程度のコミュニケーションはザラでしょう」
「…ま、何でも良いけどな。で?今後、お前らを組ませるに当たっての懸案事項は無しって事で良いのか?」
「ありませんよ」
ミハエルが当然だとでも言うように頷く。
「了解」
返された即答にオズマが満足そうに笑って、話はそれだけだとばかりに踵を返す。
その背中に、ミハエルは衝動的に声をかけていた。
「隊長」
「ん?」
「味方に撃たれるって言うのは、どんな心境になるもの何ですか」
冗談でも軽口でも無い。
足を止め振り返ったオズマは、真剣な声音と、射抜くような視線を受け止め、ミハエルの過去を思う。
ミハエルの姉ジェシカの死の真相は、否、誤射に関する一切の真相は闇の中である。
当事者同士が死と言う場所にたどり着いてしまった為に、誰も救われる事の無いまま、今日までも猶、禍根を残す事件だ。
だが、ミハエルとアルトは違う。
お互いが共に生きて、ここに居る。
ぶつけられたのが銃弾であろうと何であろうとも、その事へと問い質せる口もあれば、憤りをぶつけられる拳もあるのだ。
そして、アルトは真っ当に怒りを表した。
それで一発でも拳を決めて居れば、周りはミハエルに同情し、アルトへミスを許すように告げたのだろう。
どこで、誰に生じてもおかしく無いミス故に。
或いは、仲間のミスを許容できなかったアルトへ、批判が向けられたか。
だが、そこでミハエルへろくに反撃できずに、コテンパンに伸されている辺りが、アルトの憎めない所だ。
だから皆、事を静観するに止めたのだと予想もつく。
「ショックだろ。そりゃ、な。味方だからこそ余計に。そんな事は絶対に無いと思って、背中向けてんだ」
いつ撃たれるかも分からない相手に、背中など向けられはしない。
自分は撃たれない。
その一種の自惚れに近い思いを当然のものとして、皆、だからこそ味方に背を向けられるのだ。
自らの機体の背後から迫るミサイルに動じず、飛ぶのだ。
それが自らを裏切らず、敵を撃ちぬくものなのだと、全幅の信頼を寄せて。
「でも、まぁ殴りかかって怒鳴れるくらいのタフさがありゃ、大丈夫だ。怯えて逃げ回られるより、罵られた方がすっきりしただろ?」
「そう、ですね」
「ミスはある。誰にでもな。俺たちが人間である限り、それはどうしたって、生じるもんだ。ただし、それを繰り返すな。それが信用してくれた仲間に対するお前が返せる唯一の謝罪だ」
「はい」
頷くミハエルの瞳に、迷いは無い。
オズマはそれを見て取ると、今度こそ踵を返した。
「じゃあな」
背中を向けたまま、それだけを告げる。
歩む己の靴音とは別に、かつりと、踵と踵を打ち合わせる音が聞こえた。
振り返って確認するまでも無く、器用な癖に不器用な男が、己が背に向けているであろう敬礼へと、オズマは背を向けたまま、ひらと手を振って応じた。