愛することこそ何よりの幸福

シューティンググラスとイヤーマフを装着したアルトが、的に向かって引金を引く。
銃の発射による反動で、僅か肩を跳ねさせるものの、殆ど動きにぶれは無いし、足元も揺らがない。
格好だけは、合格点である。
そのまま見守っているミハエルの正面で、篭められた分の弾を撃ちきったアルトが、構えていた銃を下ろし、テーブルの上に置いた。
一先ずそこまでの動作を確認してから、ミハエルは声を発する。
「あーあーどこ見て撃ってんだよ」
「的」
「そう言う屁理屈言うんじゃない。的見てても外してちゃ意味ないだろうが」
その肝心の的から、大きく外れた箇所に穴が3つ。
的に当たっているのが3箇所。だがそれも、命中とは言い難い位置だ。
ミハエルはまるでなって無いアルトの射撃に、ため息をつくと、アルトを横にどかせて己の銃を構えた。
「とりあえず、見てろ」
ミハエルはどこか不貞腐れた顔をしているアルトに言うと、銃爪に人差し指をかけた。
そのまま無言で、弾数を打ち切る。
ほぼ的のど真ん中を射抜いた事を物語るかのように、的には銃弾より少し大きめの穴が一つ残るだけだ。
全て同じ場所を通過したからこその、その結果である。
銃を置いてミハエルが振り返れば、アルトがどこか呆然としたように言う。
「…反則だろ、お前…」
「こんなものは慣れ。訓練あるのみ。いついかなる状況下でも、迷わず撃つ必要があるんだからな。射撃場なんてのは、妨害も何も無くて、足元も的も動きもしない一番望ましい環境なんだぞ。ここで当たらなくてどうするんだよ」
そう言えば、アルトは横を向いてぼそぼそと言葉を零す。
「VFで当たるんだから、別に射撃なんか…」
「VFに乗って戦うだけが、戦闘じゃなくなる可能性も出て来る。この先、生身で相対する敵を、撃つ事もあるかも知れないんだぞ」
「……」
言えば、アルトがぐっと奥歯を噛み締めている。
時々、本当に軍隊など、アルトには向いていないと思うのだ。
この綺麗な場所を生きてきた生き物は、仲間の死がいつ何処に転がっているかも分からない戦場には、とことん不似合いだ。
それでも、もうアルトは理由無く戦線を離脱する事は出来ない。
戦闘に耐えうる肉体がある以上、アルトはスクランブルが掛かれば飛び立たねばならない義務が生じている。
ならば、自分は生き延びる為のスキルを、可能な限り伝えるしか無いのだ。
それがアルトを生かす事に繋がる。
「とりあえず、もう一回、構えから確認するぞ」
言えば、素直にアルトが銃を構える。
この体勢自体はさっきも確認したが、問題は何も無い。
あるのは、この後だ。
「ちょいストップ。撃つなよ」
そこで声を掛けて、アルトの動きを止めると、ミハエルは銃を構えるアルトの背後から腕を伸ばし、そのわずかずれる銃口の角度を少しだけ、上にずらさせた。
ほんの一度、二度。
「銃爪引く時に、お前は銃口が下がるんだ。最初に心持あげるように構えてろ」
「ずれて無いか?」
「ずれてる所から発射のタイミングが合致するんだから、問題ない」
そう言ってミハエルはアルトから離れると、撃てと目線で合図する。
そのまま、アルトが銃爪を引いた。
押し殺された銃撃音と、的を射抜いた音がイヤーマフ越しに、聞こえる。
「おぉ当たった」
イヤーマフを外して、アルトが的を確認している。
的の真ん中近辺に、穴が一つ空いていた。
後はひたすらに訓練を重ねて、精度を上げるだけだ。
「当たったじゃない。こう言うのは、VFにも有効な訓練の一貫なんだから、ちゃんとやれよ」
「やってるよ」
「嘘つけ。お前はすぐVFのシュミレーションばっかしてるだろう」
「…何で知ってるんだよ」
驚くアルトに、ミハエルは何を今更とでも言いたげにシューティンググラスを指で押し上げた。
「お前の基礎訓練は俺の担当なの。データは漏れなくこっちまで届くんだよ」
「…」
「データの結果から言うと、お前は照準がぶれすぎなんだ。さっき言った角度の是正と、全身の要筋トレだな」
「げ」
「このあたりとか、まだまだほっそいしなぁ」
無造作にミハエルが確認するようにアルトの腰を掴んだ。
「ミハエル!おい!」
「あれ?姫。腰周り痩せた?」
「知るか!」
「まぁ俺の方が詳しいけどね。うーん、ちょっと引き締まったのか」
じたばたともがくアルトの腰を掴んだまま、ミハエルがにぃっと目と口元を曲げてアルトを見やる。
「知ってた?ここ完全防音。鍵さえかければ、誰も来ないんだ。こういう事には持って来いだろ?」
「…っ!」
一瞬で意味を悟り激昂したアルトがミハエルの腕から逃れて拳を振り上げるのを、ミハエルは視界でちゃんと確認しながら、それを受け止めた。
バシン、と小気味良い音が、二人しか居ない射撃場に響き渡る。
「こらこら姫。眼鏡かけてる人間に殴りかかったら駄目だろ?」
「そう言う台詞は、素直に殴られてから言え!」
ぐぐぐっと拳に渾身の力を篭めるものの、それを左手で受け止めているミハエルは、いっそ憎らしいほどにすがすがしい笑みを浮かべている。
「嫌だね。好き好んで痛い目に合うほど、俺、変態じゃないし」
そのままぐい、と拳ごと引き寄せたアルトの腰に腕を回して、ミハエルは真正面から密着する形で、今にも噛み付いて来そうなアルトを見下ろす。
「こっの…っ!」
「腕力鍛えないと俺には勝てないよ」
きれいに微笑んで見せると、ミハエルはそのまま壁際にまでアルトを押しやった。
軍隊式のマーシャルアーツを既に身につけているミハエルには、ついこの間、戦闘員に加わって訓練を始めたばかりのアルトが適うべくも無い。
「どけっ!」
「上官に向かって、そう言う口利かない。」
「部下に迫るやつなんか上官でも何でも無い!」
「そうかそうか。姫はちゃんと、迫られてる自覚はあるのか」
「なななな…!」
言葉にならないのか、赤面して口をぱくぱくさせてるアルトに、ミハエルは至極満悦そうに笑うと、アルトの唇を塞ぐように己のそれを重ねた。
がつりと、互いのシューティンググラスがぶつかる。
邪魔だな、とそう深く舌を絡めたまま思いながら、ミハエルはアルトの顔からそれを抜き取ると、床に投げ捨てた。
カツン、と床に跳ねるそれの行方など、アルトには気づく余裕が無いのは、己の肩口にしがみつくように掴む手から充分に分かる。
殆ど純粋培養に近い状況で、育てられたのだろう。
知識として知ってはいても、アルトはとことん色事には疎い。
閉じた瞼と、影を落とす睫が、頼りなく震えている。
こうして己の手の内に容易く捕まる美しい姫は、けれど先陣を切って敵陣の只中へと突き進むのだ。
全くもって油断のならない姫である。
だからこそ、目が離せない。
逸らせない。
だからこそ、愛おしい。
己の肩へと額を預けて、息を継いでいるアルトの項を、ミハエルは宥めるように緩くなでた。

「ね?ずっとって言った通りでしょ?」
「……」
「だから慣れて下さいって言ったのに。って言うか、余計な心配して覗きに来るからこうなるんですよ。あーもうミシェル先輩のあの甘ったるい顔、見ました?」
「……」
「もー隊長。魂飛ばしてないで、行きますよー。僕だって、慣れててもご馳走様な気分になるのって空しいんですから」
ルカがその小柄な体躯からは想像できない力で、茫然自失なオズマをひきずって行く。
勿論、射撃場には使用禁止のカードをぶら下げるのも忘れない。
そんな妙に手際の良いルカの行動に、オズマがうなる。
「こんな連中の居る学校にランカを転校させたのは間違いだったか」
「何ぶつぶつ言ってるんですか。こんなのマシな方ですってば。ただのチューですよチュー!」
「ランカー!!」
「はいはい」
最愛の妹の名を叫ぶ隊長と、その隊長を問答無用で引きずる部下、と言う奇妙な構図を、SMSの隊員たちは一様に不可思議そうな表情を浮かべて見送った。